HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

都市人口の大部分が仕事についていないローマ

やっぱり、ローマはベーシックインカムな帝国だった。

都市人口の大部分が仕事についていないローマでは、カエサルが2人の穀物担当官を置いて食料を無量(ママ)で分配したのを引き継いで、初代皇帝アウグストゥスが食料長官を常置し、輸送船の雇い入れ、穀物の貯蔵、食料の分配を制度化しました。毎年、多くの輸送船により地中海各地から膨大な穀物が集められ、無料配布されたのです。二世紀には、ローマの住民の40万人ないし70万人が穀物を無料で与えられたといいますから、市民全体の3分の1、ないしは2分の1が帝国により養われていたことになります。「高福祉都市」ローマは、大ネットワークに寄生する大消費都市だったのです。地中海を往来する穀物船団が巨大都市ローマを支えたと言っても過言ではありません。

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かくして、有名なローマの「パンとサーカス」にいたる。

ただし、帝国は必ずローマと同じ形になるとは限らない。文明史的にはローマは例外的な存在だったそうだ。

たとえば、対比的に描かれるのは、イスラムの世界。

アッバース)帝国内の各都市には、都市を象徴するモスクが作られましたが、モスク、病院などの都市の公共施設は、権力者、大商人などからの「ワクフ」と言われる財産の寄進により維持されました。富める者は貧しい者のために財を投ずるべきであるとするイスラム共同体(ウンマ)の伝統が生き続けていたのです。

こうしたウンマの伝統に加え、イスラム社会では商業がローマ帝国以上に栄えて、小切手の制度も実現されていたのに、利子は取らなかったという。

もっとも、ローマでも有力者がパトローネスとして、頼ってくるクリエンテスを支える伝統が本来あった。公共施設や、道路も有力者の作り、その名前をつけられた。

社会には、弱者に対する慈悲が必要なのだ。小さきもの、弱きものを支える精神的な伝統がなければ、社会はあっというまに崩壊してしまうだろう。小さきもの、弱きものもフリーライダーと化してしまえば、これまた社会は崩壊への道をたどるだろう。

まだ、「世界史」はやっと中世の手前だ。これから先に読み進むのが楽しみだ。

それにしても、都市が周辺の農地を収奪する装置であるという認識は、確かにその通りなのだが新鮮だ。収奪を正当化するための宗教であり、王の権威のカリスマであり、都市に常駐する軍隊なのだといえばそれは確かにそうだ。

この都市と農地との関係は、たまたまだが、クルーグマンの「自己組織化の経済学」で生産が土地の面積に比例する農地と、集積度に比例する都市との相互作用により、地価の複雑さが決まるという分析を思い起こさせる。

自己組織化の経済学―経済秩序はいかに創発するか (ちくま学芸文庫)

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