ダンサー・イン・ザ・ダークをはじめて見たとき、なんと救いのない映画だと絶望した。ずいぶんたってから、サウンドトラックを何度も聞いているうちに、これはセルマを演じたビョークの音楽の個人史なのではないかと気付いた。
誘われて見入った映画館で、聴衆がざわつきはじめるくらい長い間、静寂が続いた。暗闇と静寂から、聞き取れないほどの小さな音からはじまった。しだいに大きくなり、壮大な序曲へつながっていく。静寂と暗闇から、音楽がはじまるというのはビョークの音楽体験そのものではないだろうか。
もちろん、この暗闇は、のちに光を失ってしまうビョークの演じたヒロイン、セルマも暗示している。
セルマの現実は日々希望が失われているのに、音楽があればファンタジーで惨めな現実をつつみこむができる。工場のつらい仕事も、旋盤の音や、溶接の音がリズムになり、セルマのファンタジーの中でのダンスになっていく。音楽というのは、こんな日々の単純なリズムから始まる。というより、日々の生活は音楽でない音楽に満ちている。そこにセルマのように耳を済ませるか否かだけだ。
電車の音が次第に音楽になっていく。大好きな曲。すべてを見てしまったからもう光はいらないという自己犠牲の切ない歌詞が重なる。
自己犠牲すらもかなわず、究極的に希望が失われてしまう。二度ともとにもどせなくとも、傷ついたレコードからすら音楽という希望は生まれる。レコードの傷そのものがリズムを生み、メロディーを生成していく。
あるいは、床をする靴音からも音楽はあふれてくる。ビョークには世界は鋼見え居ているのかもしれない。死刑を宣告される場面すらも、音楽によってファンタジーに変わっていく。
「107 Steps」については以前書いた。
そして、世界は新たに生まれ変わる。
こんなに単純なことから音楽は始まるのに、こんなに言葉を超えて、想いを伝えられることが不思議でならない。ノイズのような音から、音楽を聞き分け、人にその神秘を伝えられることが不思議でならない。たかだか、DNAに書き込まれた情報で時代と人を超えて、音楽を共有できることが不思議でならない。

Selmasongs: Dancer In The Dark (2000 Film)
- アーティスト: Björk
- 出版社/メーカー: Elektra / Wea
- 発売日: 2000/09/19
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