HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

複雑系とロバスト性

先日、友人から長岡造形大学の研究紀要をいただいた。その中に、洪起さんの「システムのロバスト性に関する私見」と題する大変興味深い論文があった。

ロバスト性」とは私にとってずいぶん懐かしい言葉だ。認知心理学の教室で卒論準備に入るときに、ひたすら読んでいたデビッド・マーの論文に何度も出てきた。

ビジョン―視覚の計算理論と脳内表現

ビジョン―視覚の計算理論と脳内表現

よく定義がわからずに使っていたのだが、洪起さんの論文を読んで初めて腹に落ちた。一般的な定義はこう。

ロバスト性とは,外乱や設計誤差などの不確定な変動に対して,システム特性が現状を維持できることを意味します.
実際の設計開発現場では,設計誤差,物性値の変化,入力信号に含まれるノイズなどの同定が困難な変動に対して,対象となるシステムが安定した特性を得られるように配慮することが求められます.
すなわちロバスト性を考慮して設計業務を遂行する必要があります.したがって,最適化設計時には,このロバスト性を考慮に入れた上で計算を実施する事が求められます.

CAE用語集 - IDAJ

洪起さんは、ロバスト性を「システムが機能不全に浸らないしたたかさ」と定義されている。一般に自己組織化現象など、さまざまな非線形な現象において、バタフライ効果が認められている。「ジュラシック・パーク」でサンタフェ研究所のカウフマンをモデルとする数学者が説明したのを記憶している方もいるだろう。たとえば、タイのバンコクでチョウがはばたくと、大西洋上でタイフーンが吹くという、システム上のごくささいなパラメーターの違いが大きな結果の差を産むといった現象をいう。現代の高度に進歩した天気予報のシステムでも、予報がはずれることがるのは、もう測定値以下の小さな違いが大きな気象予報シミュレーションの違いを実際に生むからだと知られている。

生命現象も、時系列の事象がつぎつぎにつらなっていくことで生じている。DNAのレベルから、心臓の心拍、脳の思考、筋肉の動きなど、すべては長い長い歴史の中で織り込まれて出てきてた非線形現象であり、自己組織化現象である。だから、どのレベルにおいてもバタフライ効果の危険性は常に存在するといえる。だが、生命は数十億年も続いている。地球上のすべての生命がなんらかの形で親戚であることは広く知られている。ここが生命というシステムのロバストだ。生命というシステムは十分に「したたか」なのである。

ちなみに、洪起さんは、建築構造がご専門らしい。構造のご専門家がシステムのロバスト性について書かれていることが喜ばしい。

さて、デビッド・マーに戻ろう。彼は、計算理論*1に基づき感覚知覚を研究した。彼の計算理論観によれば、一定の知覚現象をシミュレートできるアルゴリズムがあれば、機械でも、生命体でも実現可能であり、その比較から感覚知覚のプロセスに対するシステム的なアプローチができるというものだ。

計算論的神経科学(けいさんろんてきしんけいかがく)は、脳を情報処理機械に見立ててその機能を調べるという脳研究の一分野である。その創始は視覚の計算理論で知られるデビッド・マーであり、計算論的神経科学はヒトの視覚と運動制御を研究する分野で一定の成功を収めている。

計算論的神経科学 - Wikipedia

私が卒論で理解できた範囲でいえば、網膜から視野交叉にいたる視神経の神経細胞のミクロの挙動がものの輪郭の検出*2や、動きの検出を行っているという仮説だ。X神経とY細胞というのが視神経にあるのだそうだが、特にY細胞が時間的に遅れて挙動する。この時間的な遅延を用いて、偏微分することができるのではないかというのが、マーの仮説。

なにを言っているのかわからない人が多いかもしれないが、最近のビデオの手ぶれ検出を考えてほしい。手ぶれ検出は、画像全体を視神経のようにビット単位で処理している。ビットから出てくる信号を用いて、面に対してエッジの検出をしてやり、エッジの時間的な微分=動きを検出している。検出された「動き」が受信した画像全体から同様の方向、移動量であれば手ぶれであるので、補正する。動きが検出されたエリアが、画像の一部であれば撮影対象の動きということになるので補正しない。*3実際、人が自分が見ているものが動いているのか、自分が動いているかの違いを検出するのに同様のアルゴリズムであることが知られている。*4

ビデオという機械でできることと、人間のできることに関連性があり、それを実現する素子も形態的には似ている。電子的な素子と視神経とで十分に比較できる単位で「計算」可能なアルゴリズムが存在するなら、そこには原理的に似た構造があると考えていいのではないかというのが、計算理論の眼目だ。

長い前置きであるが、そこで問題なのが極小の神経の偏微分機能はレイヤーというか何段にも別れた神経の層によって実現化されている本来的には複雑系だということだ*5。なので、マーは著書の中で、二言目には「このアルゴリズムでは、ロバスト性が実現可能だ/難しい」という言及をしていた。正直、洪起さんの定義を読むまでここが腑に落ちていなかった。視覚系もシステムなのだ、しかも複雑系的な。バタフライ効果で、ちょっとしたパラメーターの差で動きが検出できるかできないかが決まってしまうのでは、安定した認識は成立しない。

ちなみに、ちなみに、卒論にちなんだエントリー。

紀要の論文の中で、洪起さんは次々に生起する事象によってロバスト性が成立するか、一定の失敗により不安定になってしまうかの分析を数学的にされている。残念ながら、論文の事象というノードが時系列的にネットワークしている状態の分析は、私の手に負えない。数学的な訓練をもってしておけばよかったなとつくづく思う。いつかこの紀要が公開されたときに、リンクさせていただきたい。

ロバストという話を社会現象にあてはめて考えてみるというのも、洪起さんの論文の眼目だ。

社会というシステムが十分にロバストで疑う余地がないと思っているからこそ、経済学が成立する。チョウがとんだだけで市場が崩壊してしまうようなら、怖くて債権も株も土地も買えない。ただし、この経済システムのロバスト性を人の愚かさとべき分布バタフライ効果がときどき崩壊させてしまうことも事実だ。このあたりのさじ加減は、ほんとうに東洋哲学ででもなければ割り切れないだろう。


そんなことを考えているうちに、「週刊 ダイアモンド」を知人が持ってきてくれた。その中に、ブラックスワンの試読版が入っていた。

 *6

ブラックスワン」の私の感想。

ブラックスワン」は、システムのロバスト性を破壊する。本来、ロバスト性に時間の概念がはいっているべきなのだろう。どれだけの時間に対してしたたかでいられるのか、耐えていられるのか?洪起さんの論文でいえば、いくつの事象が生起するかということになるのだろうか。次々と生起する事象を何次までかけあわせるか、ひとつの事象が生じて滅するまでにどれだけの時間が必要なのかで、確率としてロバスト性を定義できる。


さて、そこで池尾先生と安冨先生の議論に入っていきたい。

同様に、現実の関係性が非線形だからといって、線形近似がいかなる場合にも意味がないということには全くならない。要は、理論の限界を踏まえて、誤差が大きくなり過ぎない範囲で運用していくということですね。

経済は複雑系(補足の補足)−−池尾和人 : アゴラ - ライブドアブログ

池尾先生のこのお言葉は正しい。しかし、それでも割り切れない、その先にあるカオス、ブラックスワンな部分にこそ命をかけた知的探求を行うべきだ*7という安冨先生のお言葉にも深く共鳴する。

だからなんだっていう結論が私のごときつまらない人間には手に余る。ただ、複雑性とロバスト性というナイフのエッジに私の人生もおかれているのだなという直観はある。

*1:「computational theory」と書いておかないと、誤解されがちな言葉だ。

*2:エッヂの検出ってやつだね。

*3:つーことは、偏微分して検出した動きをまた小域で二次微分、三次微分するということか?認知つっても、心理学系からのアプローチなので、詳しい人につっこまれるとたぶん答えられない。

*4:名前は忘れたがカナダの研究室でNASA委託の宇宙酔いのデモンストレーションを見た。まさにまさにこの原理であった。

*5:マーは「複雑系」という言葉は使っていなかった。

*6:おっと、この次の号だったかな。

*7:まではおっしゃっていないか..