HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

NHKは白洲文平をゆがめて描いている

私が読んだいくつの本から、白洲次郎の父親の文平は次郎をこよなく愛したと理解してきた。

商売が忙しかっただろうからさぞかし父親の愛情薄く育ったのだろうと思われるかもしれないが、むしろ逆であり、文平は動物の親が子供を舐めて慈しむようにして愛情を注いだ。自分が家にいるとき、次郎が学校から帰ってくるのが遅いというだけでイライラし、そうした顔を周囲に見られたくなくて檻の中の猛獣のように家の中を歩きまわる。

今回のNHKのドラマの原案とされる「白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)」からしてこう書いてある。まして、「お前の顔なぞみたくないから英国でもどこでも行ってしまえ!」だとという訳もない。あるいは、死んでからまで次郎が文平に反抗しつづけるなど、「仕込み杖を持って肩で風を切って闊歩するような青年」であった文平と、終世在野を守った次郎の間では考えられない。金持ちは性格が悪いというイデオロギーに毒されたドラマだったのではないだろうか?*1

白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)

白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)

そういえば、ブログ界隈の有名な方が白洲次郎夫妻と実際に会ったことがあられるとおっしゃっていた。白洲次郎自身が文平をどう思っていたのか、教えていただけるととてもうれしい。

■参照

id:tangkai-hatiさんに教えていただいたリンク。

*1:「1935(昭和10)年 次郎33歳/正子25歳 夏、軽井沢の別荘の隣に住んでいた河上徹太郎夫妻の知遇を得る。10月23日、次郎の父・文平死去(66歳)。《死んだという電報が来たので、妹が行ったら、ベッドに独り死んでいて、ベッドの下を見たら、棺桶が入っていた。それはほんとの田舎で、身体が大きいから、出来合いの棺桶ではあとの者が困るだろうというので、前からつくってあったのだ。こういうことも皆傍若無人の現われといえよう》(「日曜日の食卓にて」)。」武相荘 年譜