HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

日本の人事米国化はアルバイトから

米国のテレビドラマ、「スーツ」の冒頭。辣腕弁護士ハーヴィーが自ら採用面接をするシーンがある。採用面接をいやいやながらも自分でやってしまったことから、この法律事務所の物語は広がっていくのだが、それはまた別の話し。弁護士事務所の人事採用は若干特殊かもしれないが、日本の人事慣習からいうと一部門長、一管理職が採用面接を行い、採用権を持つことにかなり違和感を感じる。日本では、採用は、社長と人事担当の専権事項。

www.suits-tv.jp

米国では、部門の人事権はその部門長にあると聞いた記憶がある。よって部門長が採用もすれば、解雇もできると。解雇についての米国流の考え方が面白いと思ったのは、降格させるとモチベーションが決定的に下がるので、それならいっそ解雇するのだということ。人事は信賞必罰が原則なので、成績があがれば、地位も報酬もあがっていくのは日本も米国も一緒。信賞必罰を徹底するには、地位と報酬をあげもすれば、下げる、あるいは剥奪することすら必要となる。確かに、私が見てきた狭い範囲でも降格させてモチベーションがあがったケースはない。降格をあとあとまで引いて、結局自分から退職というケースは少なくない。なるほど、米国人は合理的だ。

それに比べると、日本の会社では採用解雇に部門長が関わることは少ない。昇進降格すら、部門長には提言はできても決定はできないだろう。支店、支社、店舗の人事でも本社の人事スタッフが立案し、実行するケースがほとんど。そもそもかなりの失敗をしても、解雇されるケースはまずない。トラブルや成績不良で解雇しようとしても、組合だの、外部組合だの、なんとか弁護士だのが関わってきてトラブルになる。正社員の会社側からの解雇はよほどのことがないかぎりできないのが日本の常識。

とはいえ、日本でも人事体系が変わってきたなと思ったのは、ある飲食チェーンのオペレーションについて話しを聞いた時。そのチェーンで日本一の業績を誇る店は、200人を超えるパートで運営されていると。正社員は3人のみ。27才の店長がパートの採用から管理まで一切を担当しているのだという。チェーン内の店の成績が公表されるので、パート一人一人まで日本一を取るぞ!というモチベーションづけまで若い店長がやっているのだと。経営者側からよくそこまで27才をそだててなと。この店長がパフォーマンスを発揮するまで、かなり若い時期からいくつもの店舗で経験を積んだに違いない。

この意味では、日本の雇用慣習はパート、アルバイトから米国化するのかもしれない。米国の弁護士事務所の弁護士と日本の飲食チェーンのアルバイトの人事ポリシーが同じと言っていいかどうかは保証のかぎりではないが。日本の労働者組織を自称する方々は、早くパート、アルバイトの権利を守る運動に転換したほうがいい。もっとも、どの経営者にあっても人手不足をなげいていらっしゃるので、かなり自然に労働環境の改善は進むのだろうが。

共同体としてのPTA

先日、増田のエントリーが火付け役でPTA不要論が論じられていた。

anond.hatelabo.jp

この議論をよく追えているわけではない。ただ、PTAでお役をいただいてたことがあり、考えるところがあったので書く。

PTAとは、保護者が学校と対等に話ができる数少ない場であだ。言わば行政に対する議会の立ち位置だとイメージするとわかりやすい。教師を辞めさせてしまうほどのモンスターペアレントはともかく、普通の保護者なら多少気になること、改善して欲しいことなどあっても、子供を「人質」にとられているので学校に強くは言えない。とはいえ、学校側も案外社会常識に欠ける対応をすることがある。あるいは、PTA会費、教材費の取り方ひとつとっても社会の変化でこれまで前例のない事態があったときにどう対応するかは学校だけでは決められないことがある。個々の保護者では、単なる「文句」になってしまい建設的な提言とならない。こういう時に、PTAとしてどう対応するかを保護者の間で建設的に話しあえれば学校側にとっても、保護者側にとってもウィン=ウィンの関係を築きうる。

確かにPTA関係者のITリテラシーには大きな開きがあり、なかなか効率的な運営ができなかった。10年くらい前にPTAと関わった時は、ああ、これメールで済むのになと思いながらファックスしてたり、役員会の日程調整に何度も電話したりしていた。文章を作ってもらっても、ちょっと直したい時にファックスなので全文打ち直しなんてのもあった。しかし、最近はLINEの普及率があがり、ちょっとした連絡も、文書の確認修正も、スケジュールの調整もLINE上で済んでしまう。スマフォとPCがシームレスで仕事ができる。もちろん、PTAの参加者のリテラシーに応じてアプリケーションの選択があるべきでLINEをPTAで使えとはいわない。だが、ここまで重層的にIT環境が整ってきているとかなり効率化が進む。

言うべきか迷うのだが、PTA連合会などまでいくと政治的な意図もある。やはり、市のレベルでも、県国のレベルでも、教育にどう予算をとってこれるかPTAの関係の人集めは大きなデモストレーションとなっている。PTAの参加人数、活動の活性度が割と重要。

その他、学校行事へのPTAの関わり、PTAに地域(community)のCを入れたPTCA活動の必要性についてはよく書いてくださっている方がいる。

nemurenai-same.hatenadiary.jp

以前、長崎県で活動しているリンクを拾ったが現在ではつながっていない模様。

今後、地域で学校をささえることがとてもとても大切になってくるだろう。PTCA活動ということの勉強を以前させていただいたが、これは今後の日本の地域を守るためのひとつの肝になるのではないだろうか?

「地元の商店街が活気がありません。」 - HPO機密日誌

いくつかのPTCA活動は成果をあげている。

www.ptca-pdca.com

とにもかくにも、他でもない自分の子どものことなのだから、PTA活動には前向きに取り組もうよ。子供も親、保護者がPTAを通して自分の学校を支えている姿をきっと見ているはず。批判ばかりでは、子供は学校に権威を感じなくなる。権威のないところに、「教えて育てる」教育はない。

スーサイドスクワット

私の周りで割と評判良かったので、期待して観た。ジョーカーとハーレイ・クインのぶっ飛んだ愛に支えられてた感じ。

wwws.warnerbros.co.jp

ハーレイ・クインのスピンオフ映画が話題になるのもわかる。

www.google.co.jp

そういえば、ハーレイ・クインを演じたマーゴット・ロビーは、「アバウト・タイム」の主人公の初恋のいとこの役。かなりの美人さん。それがこれだけぶっ飛んだ役をやってしまうのがすごい。

hpo.hatenablog.com

スピンオフが楽しみかな。

平成29年 桃組「小さな勉強会」

ひさしぶりに桃知さんの勉強会に参加させていただいた。自分の仕事とは桃知さんのおっしゃる「中景」を作ることなんだと改めて自覚した。思えば、外へ外へと「遠景」を求めて出て行くところから、自分自身と街との関わりが仕事の原点であると教えていただいたのは、桃知師匠であったと。桃知さんのお話しを聴きながら、かなり真面目にノートを取った。Pagesで。

www.momoti.com

類、種、個

遠景、中景、近景

種の論理――田辺元哲学選I (岩波文庫)

種の論理――田辺元哲学選I (岩波文庫)

人「類」ではあまりに広すぎる。人「種」としてしまうとちょっと戦争とか結びついてしまう。「個」人では生きられない。やはり、私には「中景」の町内会、祭り、街、すきまといった桃知師匠のキーワードを親しく感じる。


■追記
そうそう、たまたま翌朝、遺伝子検査のCM動画を見た。ああ、まさに人種という概念自体がまぼろしなのだと教えてもらった。自分自身の遺伝子検査の結果が楽しみ。

youtu.be

hpo.hatenablog.com


■追記 その2

桃知さんが勉強会資料をアップされていた。フルセットで読むとまた意思が伝わるかと。

www.momoti.com

人生とは習慣の織物なり

ある若い人と話しをした。習慣がいかに大切かを話した。ふと自分の五十年を振り返ると、人生の岐路にあたってAか、Bかと悩んだ末に出した結論よりも、日々をどのように生きてきたかが大切なのだと気づく。いまの道を選んだ私であっても、何度も挫折しかけた。自分の信じる道だと思って、真剣に取り組んでも誰も認めてくれない長い長い時期があった。それでも、精進しつづけるといつしか誰かが認めてくれる。その中で編み出した、早起きして仕事をするとか、明るく元気にあいさつするとか(どんなに落ち込んでいても)、若い内にとれる資格はとるとか、ごくごく日常的な、とても大きな決断が必要ではない毎日の習慣、小さな変化を作り出す努力の方が大切なのだと思い知る。

つまりは、人生とは習慣の織物だという安岡正篤先生の言葉にたどり着く。

hpo.hatenablog.com

あれ、「レーベンス・ヒュールンク」ってなんだっけと?

マックス・ヴェーバーの宗教の定義は、レーベンス・ヒュールンク、つまり生きざま、行いの仕方、行動様式---もっとも単なる外面的な行動様式だけではなくて、外面的な行動様式を内面から支えるような心的条件を含めた行動様式(エトス)ですけど---彼の場合は「エトス」という言葉と「宗教」という言葉をほぼ同じ意味に使っているわけです。

[書評]日本教の社会学: HPO:個人的な意見 ココログ版

つまりは、勤労の習慣、日々の礼儀正しさという習慣を身につけ、実践するには、深い宗教的な感情、情熱が不可欠であると。それをどう若い人に教えるかが大切なのかもしれない。

なぜ予算委員会だけが中継されるか?

国会中継だけはよく見る。いまは、かなり国のかじとりが難しい時期であるにもかかわらず、両院の予算委員会の重箱の隅をつつくような野党の質問がうざい。そもそも、民主党時代にかなり現在の諸問題のタネを自分たちでまいたのだから、その反省から質問しろと言いたくなる。とはいえ、福祉関係の委員会もあれば、防衛もあるだろうに、なぜ予算委員会だけ?しかも、予算委員会なのに、国防問題、外交問題、あるいは官僚の天下り問題が議論されるのか?

これはイギリスの伝統までさかのぼるのだと想う。そもそも、首相、Prime Minister、とは本来、大蔵大臣、First Lord of the Treasury、のことだったのだと。

1714年に大蔵卿(英語版) が廃止されるのに伴い、王室財政を担当する機関として大蔵卿委員会が創設された。その長である第一大蔵卿の歴史もこの時に始まる。
初期の大蔵卿委員は年功序列によって「第一大蔵卿」「第二―」…と番号が割り振られていたが、次第に第一大蔵卿が政府の首席とみなされるようになる。1721年のロバート・ウォルポール以後は事実上の首相となり、以降財政を司るのは大蔵卿委員会の次席である第二大蔵卿 (Second Lord of the Treasury) を兼務する財務大臣 (Chancellor of the Exchequer) となった。
首相 (Prime Minister) はその後も俗称にすぎなかったが、アーサー・バルフォア内閣時代の1905年になって正式な官職となった。わずかな例外を除いて首相は第一大蔵卿を兼任するのが慣例である。ウィリアム・ピット(小ピット)は首相兼第一大蔵卿のあり方について「財政の先頭にある人であるべきだ(ought to be the person at the head of the finances.)」という言葉を残している[2]。1942年までは庶民院院内総務もしくは貴族院院内総務も兼ねるのが通例であった。

第一大蔵卿 - Wikipedia

結局、首相の最大の権限は予算権だということになる。このために、解散権利もあると。適切なソースが見つからないが、ここにおいて戦前の首相は予算で軍を統制できなかった。テロと暴力に屈したのだと。

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先日の「戦争まで」と合わせて山本七平を読むと、野党のくだらない質問に答えている現在の日常が平和だと感じられる。

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「トルク」を感じて振る

今日はお仲間とのラウンド。昨年の夏、とある名門コースに同じお仲間でまわらせていただいた。その時は、ラフがきつくて全然球が出てこず最後は、ピッチングで出していた。当然、スコアもぼろぼろ。しかも、ドライバーが全くあたっていなかったので、9Wでティーショットをしていた。

今回は満を持しての再トライ。ここのところ、ドライバーがしっかりあたる。あるラウンドの途中で、「トルクを感じて振る」というキーワードを唱えながら振ることを覚えた。「他のショットは、ちゃんと振っているのに、ドライバーだけ自信なさげにふるから当たらないんだよ」とご指摘いただいて、気づいた。力いっぱい振っても当たらない、自信なさげに「ハーフショットでいいや」とやってもあたらない。ちょうどいいドライバーの感覚は「トルクを感じながらふる」だった。これは人によってまったく違うキーワードになるのだろうが、私にはこれがたぶん「ヘッドの重さを感じながらのショット」の感覚なのだろう。

1.5ラウンドして、アウトはだめだった、インは50と47だった。このクラブの会員のお仲間の年間平均がハーフ45だか、46だとおっしゃっていたので、私としては十分なスコアだったと思う。ちなみに、ラフも冬枯れで打ちやすかった。

そうそう、それとホールをまわるイメージも変えた。400ヤードミドルとして、今の私だとドライバーが200ヤード。残りをフェアウェイウッドで160、70飛ばそうとするのではなく、6Iか7Iで140ヤード、130ヤード飛ばして、残り70ヤードなら私ならAWかPWの距離。AWかPWなら、コントロールもきく。うまくいけば、寄せワンでパーもたまには可能となる。とりあえず、全ホールをボギーペースでまわることを目標とするレベルの私ならこれで十分。ロングなら、6Iもしくは7Iを2回となり、あとは一緒。ショートも、ユーティリティをSの25度から昔買ってあったRのシャフトの22度に変えたら割と飛んでくれている。逆に180くらい飛ぶことがあるので、150から160飛ぶRのシャフトのユーティリティが必要かもしれない。

まあ、ともあれ、良いコース、良い天気、良いお仲間に恵まれて、1.5Rとは想えないほど快適にラウンドさせていただいた。感謝!