HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

Star Wars: Force Arena (スター・ウォーズ:フォースアリーナ)に更にはまる

最近、ひまさえあればゲームしている。五十の親父がおかしいだろうと。

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これがまた課金をして、「クリスタル」を増やさないとかなり地道なゲームになる。と、思って大人買いをしていまった。しかし、考えてみればこのゲームの醍醐味は、自分のカードをどう組み合わせるか、戦闘中三枚の中からどのカードを選んで、どういう戦術で戦うかを必死に考えることにある。また、バトルは当然同じレベルのプレーヤー同士で組み合わさる。従って、課金しても、しなくてもバトルの醍醐味は変わらないということになる。ついつい、目先の新しいカードを使ってみたい気持ちになるし、いまだに引きがこないオビワンケノービで戦ってみたいと切望はしてしまうが、課金ゲーと非難される理由はない。

で、さすがに最近は大人買いは控えて、地道にプレーする。戦闘でゲットした袋に入ったカード達も、前はクリスタルに糸目をつけずに片っ端からあけていたが、いまはカードスロットを2つだけあけてあとは地味に時間で開封されるのを待つようになった。2つだけあけるのは、バトルに勝った時に勝利の袋と、プレイポイントが10点たまったボーナスでもらえる時があるから2つあけてバトルに望むようにしている。ここも、スロットの数が通常4つしかないので、時間をおいてプレーをするようになった。

ああ、それにしてもなかなか今回のミッションであるブロンジウムが達成できない。自分の勝率をすくなくとも60%、70%にしないとあがっていかない自分の戦術の悪さにいらいらしながらバトルしている。本当に数秒の差で相手に攻め込むか、攻め込まれるかが決まる。スリリングがたまらない。

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Dr. Strange was not Strange Enought to Me

視てきた。映像は確かにすごかった。予告編通り。でも、なんかひと味たりないなと。


「ドクター・ストレンジ」 特報

ドクター・ストレンジ|映画|マーベル|Marvel|

なんというか、ヒマラヤのどっか、 シャンバラ で世界を守っている聖人のイメージが私のもっているものとは違う。少なくともWi-Fiのパスワードのようなものではないなと。エイシャント・ワンを演じたティルダ・スウィントンの雰囲気は好きだ。ベネディクト・カンバーバッチもよかった、もっと当初傲慢でよかったとは想うけど。もうちょっと神秘的な雰囲気を期待しすぎていたのかもしれない。そう、エリアーデの小説のような。

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ビットコインと電債

ビットコインというのがいまだに不勉強でなんなのかわかっていない。とりあえず、当初盛り上がったビットコインとは、結局取引を電子的に記録して使う取引の総称になりつつあると理解した。

gigazine.net

キーワードはブロックチェーン。

ブロックチェーンは多数のノードに同一の記録を同期させる仕組みである。ノード間の記録に差異が生じた場合には、一定のルールに基づく多数決によって正統な記録を決定することにより、記録の同期を確保していく仕組みとなっている。また、既存の記録(ブロック)に新しい記録を追加する際に、チェーン状に次々と追加していくことから、ブロックチェーンと呼ばれている。この点、日本ブロックチェーン協会が独自に技術としてのブロックチェーンを定義している。

  1. ブロックチェーンは以下の諸点でビットコインよりも一般化された概念である。
  2. 管理者を置けるし、取引履歴も非公開の形で運用できる。
  3. 採掘者(マイナー)[4]や、暗号通貨ないしトークンは設計次第で必ずしも要しない。
  4. 企業などによって運用されている既存の決済・ポイントサービスなどのシステムを、記録が非公開で運用されるブロックチェーンのシステムに代替することにより運用コストが削減され、手数料等が抑えられると期待されている。
ブロックチェーン - Wikipedia

Wikipediaではこの後、平野社長のインフォテリア株式会社のブロックチェーン推進協会を含む、多くの企業連合でブロックチェーンを実装する動きがあることが語られている。これはまさに「Mr.Robot Season 2」で語られた世界。違いは、世界からすべてのローンを消滅させるテロが2016年に起こったか、起こらなかったかだけ。

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ちなみに、「ノード間の同一記録」による価値のつけかえという「疑似通貨」という意味では旧来からの日本の手形取引そのものだ。下記の記事のようにブロックチェーンには必ずしもトークンは必要ないのだとすれば、ブロックチェーンとは手形取引そのものだと。

ブロックチェーン技術に言及する際には、しばしば「トークン」と呼ばれるシステム内の貨幣のようなものと、マイナーと呼ばれるトークンの発掘者の存在が指摘されることがあります。しかしながら、これらはブロックチェーン技術にとって必要不可欠の要素ではありません。ブロックチェーン技術を分散型台帳としてとらえる見方からすると、システム内でこの分散型台帳を適切に管理することができればよいわけであり、そのための設計として、トークンというものを導入するかどうか、またマイナーという仕組みを導入して分散型台帳の管理のためのリソース提供を動機付けするかどうかは、サービスのアーキテクチャないしその根本にあるブロックチェーンのプロトコルをどのようにするか、という問題に過ぎません。

ブロックチェーンの正体 | TechCrunch Japan

ブロックチェーンとは実は電子手形だとすれば、断定されている訳ではないが発案者とされているの日系人かもしれないだというのは興味深い。

その意味では、電債は極めて近いところをかなり前から日本政府からみで実装したと言える。まあ、まったく普及しなかったが・・・。

www.densai.net

相変わらず、日本惜しいなと。

沈黙 - Silence -

遠藤周作原作の映画、「沈黙」を見た。 正確には、「沈黙ーサイレンスー」なのだが、「サイレンス」を"Silence"と書きたくなるほど、マーティン・スコセッシ監督作品だった。これは本当に遠藤周作作品なのだろうか?

www.youtube.com

映画『沈黙‐サイレンス‐』公式サイト

映画としては、実によくできていた。語り手であるセバスチャンを演じるのは、「アメージング・スパイダーマン」の主役であるピーター・パーカーを演じた若手の注目株、アンドリュー・ガーフィールド。それ以上にはまり役だと納得したのは、セバスチャンとともにイエズス会から日本に派遣されてきたフランシスを演じる、アダム・ドライヴァー。「スター・ウォーズ:フォースの覚醒」でカイロ・レンを怪演していたアダムは、実は熱心なクリスチャンだということ。子供のころは聖歌隊にも入っていたという。愛国心の余り海軍にも所属していたというアダムは、遠いローマから宣教の情熱を持って来日するという役柄が実に似合っている。

ciatr.jp

イノウエ様のイッセー尾形、フェレイラ神父のリーアム・ニーソンなど、脇を固める俳優陣もまったく遜色ない。実によくできた映画だ。

弱きもの、圧政と貧困の底の底で人として扱われていない人達が、キリスト教の信仰を得た。それも、江戸時代にというのが改めてなぜなのかと最後まで疑問に想ってしまった。熟達した隠れキリシタン弾圧の代官、「イノウエ様」のように「日本には仏教がある、キリスト教が入ってきてもそれはキリスト教ではない他のなにかに変容してしまっている。いまさらなんでキリスト教を教えにくるのか?」と言いたくなった。私にはやはりキリスト教の信仰はわからない。

それでも、こうした神父たち、イエズス会の活動は決して無駄でなかったことを先日長崎に行ったときに知った。神父もおらず、教会もないまま、二百数十年に渡ってキリスト教への信仰を捨てなかった人々がいたと。これは、キリスト教の宣教の歴史の中でも特筆すべき奇跡ではないだろうか?

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沈黙こそが、宇宙の真理なのかもしれないとは想っている。

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遺伝子検査を申し込んだ

池谷先生のご講演を聞いた。とっても面白かった。思ったよりもご自身の専門である脳と神経の話しよりも、意識と無意識という観点からお話しをされていた。

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人間がいかに無意識で生きているか、意識がいかに無意識にだまされているかは、最新のご著書を!

この中に収録されているいくつかの具体例を講演でデモンストレーションされた。いやはや、見事!。一応、この辺大学の専攻だったにもかかわらず脱帽状態だった。

http://livedoor.blogimg.jp/amplit/imgs/3/4/341ef9d9.jpg

【錯覚】あなたの見ている世界はホントに正しい?【錯視】 - NAVER まとめ

で、話しの最後3分の1は遺伝子検査の話しだった。ご自身も数年前に"23andMe"というGoogle子会社のサービスを受けられた体験をお話しくださった。かなりご自身の半生に合った検査結果であったと。

www.23andme.com

ところが残念ながら、このサービスはいまでは米国外からでは遺伝的な自分の先祖の生息地に関する情報しか提供してもらえないことになったらしい。日本のサービスを探したところ、DeNA社のDNA分析サービスが見つかった。

mycode.jp

Googleに比べるとちょっと高い。まあ、でも、人生もとうに折り返しをすぎているので、これからの人生のリスクを知るのにやってみる価値はあると思った。結果が出たらまた書く。

「小さいおうち」のタキさん(ネタバレあり)

読了して深い印象を持った。Amazonの評者が書くように私にとってはこの作品は「この世界の片隅に」と対をなす、普通の女性の目から見た太平洋戦争頃の生活の話しとなるはずだった。

5つ星のうち 5.0昭和初期の東京市民の生活の完全な再現
投稿者 ymatsui4 投稿日 2010/6/14
形式: ハードカバー
有名な絵本と同じタイトルだが,これは作者一流の仕掛けで,これは昭和5年から19年初めまでの間,東京市西部の坂の上の小さい赤い家の女中奉公の記録と言う体裁をとった歴史小説である.この主人公は小さい家の住人たちであるが,それよりもこの時代の生活感覚の歴史そのものではないか.私はたまたまこの家の恭一君と多分同い年で,やはり東京市西部の小さい家に女中つきで育ったので,一つ一つ思い当たることばかりで,特に 二.二六事件 以後のつるべ落としのような下り坂の不安な感覚は,二度と経験したくない,思い出したくもないものだった.それが殆ど間違いなしに再現されるのを読むのは,辛い仕事である.しかし作者の構想力と筆力は私に読み続けることを強いた.日本の国力は経済封鎖のためもあって,昭和15(1940) 年には既に5年前に比べて取り返す術もなく衰えていた.そこで戦争なのだから,私は子供心にもう駄目だ,と絶望の思いで聞いた.この小説でたった一つの誤りは 1941年12月8日のこの開戦発表の時間で,JOAK は早朝から大本営陸海軍部発表文を流し続けだった.でもここまでの現実感での再現を果すには膨大な史料調査とその整理が必要なはずだが,作者はその方法をプロの歴史家同等に身につけておいでと拝見した.小説は第8章の代わりに最終章が置かれ,これはミステリでの解決編に相当するが,奇想天外の展開に呆然とする.今も呆然としたままだ.愛と死と芸術の織り成す大作,感動した.強く推薦.
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「恭一君」とは、時子奥様の一人息子。タキさんは、まさに「この世界の」すみさんに匹敵するキャラだと思っていた。

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タキさんの一人称の語り口にすっかり引き込まれていた。最終章まで来て本当に全く違う仕掛けが込められていたことに初めて気がついた。これは人を愛する物語なのだと。立場を違っても、戦場に放り込まれても、死に別れてから何年経っていても、人を愛することの重さを表現した小説なのだと。大変、この意味でも共感を覚えた。

仏印進駐、南進は合法だった

「戦争まで」の中で、私としては驚きを感じたのが、仏印進駐が二度ともフランス政府との合議の上で行われたという事実。三国同盟を結んだ結果としての、仏印進駐であったと。

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フランス領インドシナは、1887年から1954年まで、大日本帝国により占領された一時期を除きフランスの支配下にあったインドシナ半島インドシナ)東部地域である。現在のベトナムラオスカンボジアを合わせた領域に相当する。

フランス領インドシナ - Wikipedia

北部仏印進駐
ナチス・ドイツのフランス侵攻によりフランスは敗北し、1940年6月17日には独仏休戦協定が締結された。これをうけて6月19日、日本側はフランス領インドシナ政府に対し、仏印ルートの閉鎖について24時間以内に回答するよう要求した。当時のフランス領インドシナ総督ジョルジュ・カトルー将軍は、シャルル・アルセーヌ=アンリー駐日フランス大使の助言を受け、本国政府に請訓せずに独断で仏印ルートの閉鎖と、日本側の軍事顧問団(西原機関)の受け入れを行った。


6月22日に成立したヴィシー政権はこの決断をよしとせず、カトルーを解任してジャン・ドクーを後任の総督とした。しかしカトルーの行った日本との交渉は撤回されず、日本の松岡洋右外務大臣とアルセーヌ=アンリー大使との間で日本とフランスの協力について協議が開始された。8月末には交渉が妥結し、松岡・アンリー協定が締結された。この中では極東における日本とフランスの利益を相互に尊重すること、フランス領インドシナへの日本軍の進駐を認め、さらにこれにフランス側が可能な限りの援助を行うこと、日本と仏印との経済関係強化が合意された。


(中略)


日米関係の悪化と南部仏印進駐の決定
1941年7月2日の御前会議において仏印南部への進駐は正式に裁可された。(『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』)。しかしイギリスはこの時点で仏印進駐の情報をつかんでおり、7月5日には駐日イギリス大使ロバート・クレイギーが日本の南進について外務省に懸念を申し入れている。日本側は情報漏洩に驚き、進駐の延期を行ったが、イギリス側も日本を刺激することを怖れ、これ以上の警告を行わなかった。7月14日には加藤外松駐仏大使がヴィシー政府副首相のフランソワ・ダルランと会談し、南部仏印への進駐許可を求めた。ヴィシー政府はドイツの意向を探ろうとしたが、おりしも駐仏ドイツ大使オットー・アベッツは旅行に出かけており、不在であった。フランス政府はドイツ側と協議することなく、7月19日の閣議で日本側の要求を受け入れることを決定した。

仏印進駐 - Wikipedia

Wikipediaの書きっぷりだと不鮮明だが、最近の歴史学の研究、フランス政府の資料公開によると、二度ともナチスドイツの傀儡政権であったヴィシー政府は日本の進駐を認めたのだという。少々長いが、Amazonの書評からの引用。

1940年7月、フランスはドイツと休戦協定を結び、「ヴィシー政権」が成立した。著者に依れば、ヴィシー政権は、ヨーロッパに覇権国ドイツが成立したときに、ヨーロッパ第二の有力国家になることを目指して、海軍力などの温存を図った。ドゴールはロンドンに「亡命政府」を作ったが、もちろん力はなかった。イギリスは、アルジェリアのオラン沖に停泊していたフランスの軍艦がドイツに接収されることを恐れて、これを攻撃し、フランスに千人以上の死傷者をもたらした。この瞬間、フランスの伝統的な対英攻撃心が蘇り、それはインドシナでも英仏対立の感情を引きずった。*1


インドシナの「フランス総督府」は、どうすれば良かったのか。
ヨーロッパではドイツが、アジアでは日本が「覇権国」になる可能性を踏まえて、とりわけ、「援蒋ルート」に神経過敏な日本軍との「協力」と「インドシナにおけるフランスの主権の保持」を第一義的な目標とせざるを得ない。本国はもとよりイギリスの支援も期待できない状況で、水面下でアメリカにも密かに支援を求めるが、アメリカはドイツの300万人、日本の130万人の兵力に対して、23万人の兵力しか無く、この時点で戦闘に入れる状況にはなかった。従って、フランス総督府は、現実的に考えれば日本が最大の顧客であるという経済関係も重視して、日本との交渉に活路を見いだすしかなかったのである。


その結果、1940年9月「北部仏印進駐(これはあくまで平和的な「進駐」であって「占領」ではない)」となり、日本は複数の「援蒋ルート」のうち、最も重要なインドシナの鉄道を利用した「援蒋ルート」を掌握できた。巧妙なフランスのサボタージュによって完全ではなかったが、ビルマ経由と西北ルート以外の補給路にに睨みをきかせることが可能となった。


この間の日本の外務省、陸軍、海軍のフランス総督府との交渉は、まさしく帝国主義の時代のやり方である。それが国際基準であった時代の話だが、フランス総督府の息を止めるようなことはしていない。フランスは海南島マダガスカルニューカレドニアにまで植民地を持っていたし、日本もまた、「中国戦線における国民党牽制」が一義的な目的だったからである。


しかし、この「平和的進駐」は、当然「南部仏印」まで視野に入れていた。北部だけでは、日本軍の目的は安定的に維持されなかったからである。さらに、シンガポールを拠点とするイギリスの存在が視野に入っていた。「南部仏印進駐」は、その翌年、1941年7月末に行われた。7月14日に、日本は総督府に要望を出したが、北部仏印進駐に際して起きたような駆け引きは無かった。総督府は、アメリカに通告したがアメリカは既にヨーロッパ戦線を一義的戦場と決定しており、介入する意志は示さなかった。従って、短期間に日本の進駐は行われた。しかし、日本と総督府の協定書調印の3日前に、アメリカは「日本の在外資産凍結」を決定していた。アメリカの公式的見解は、「戦争を意図したものではない。日本が音を上げて降参してくるか妥協してくることを望んだものだ」というものである。

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「戦争まで」の中で、戦前の陸海軍と外務省の中堅官僚達の討議録が紹介されていた。その中では、ドイツの欧州での勝利を前提として「戦後」の処理が語られていた。彼らからすれば、三国同盟とは、第一次世界大戦日英同盟と同じで、戦勝国と組んで漁夫の利をアジアで取ろうという戦略であった。とすれば、日中戦争が長期化していくなか蒋介石を支援する英仏の援蒋ルートを途絶させるためにも、同盟国ドイツの支配下となったインドシナに平和裏に進駐するのは当然の結果であったし、当時の帝国主義的思想から言えばやらなかったら「機会損失」の汚名をなげかけられない決定でったのだろう。

歴史の教科書の中でも、仏印進駐の背景はきちんと教えるべきだろうと私は思う。正直、歴史の教科書の中で帝国主義的な思惑のなかでかなり唐突に、かつかなり悪意をもった書きっぷりで仏印進駐が記述されていたと記憶する。

近代の歴史はよくよく教科書から離れて学び直す必要がある。

*1:この少し前に起こった、フランスに取り残されたイギリス兵士40万人の脱出が「ダンケルク」という映画になる。大変楽しみ。 映画『ダンケルク』特報2【HD】2017年9月公開 - YouTube