HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「土俵の真ん中で相撲をとる」

稲盛塾長の言葉。最近、つくづく本当にそうだなと感じる。

「土俵の真ん中で相撲をとる」


私はいつも「土俵の真ん中で相撲をとれ」と言っていますが、それは土俵の真ん中を土俵際だと思って行動しろという意味です。
学生時代、皆さんも試験直前になって、あわてて一夜づけをした経験があると思います。そして間に合わず、破れかぶれで試験に臨んできた人も多いことでしょう。試験の日時は決まっているのですから、いい点を取りたいと思っているなら、早くから準備をしていればいいのに、多くの人はそうしようとはしないのです。

また、相撲を見ていても、俵に足がかかると馬鹿力を発揮して、うっちゃりをする力士がいます。あのくらい馬鹿力が出るなら、土俵の真ん中で出せばいいのに、といつも私は思います。

実は、人生も同じなのです。土俵の真ん中にいるときには、余裕があるから安心してしまい、行き詰まってからあわてるのです。
常に余裕がないと考え、瀬戸際にまで追い詰められる前に力を振り絞るようにしなければなりません。また、土俵際つまり窮地に陥らなくても、リスクが想像でき、事前に手を打てるようでなければなりません。

安全弁を置いた進め方をしなければ、人生も仕事も経営も決して安定したものとはなりえないのです。

土俵の真ん中で相撲をとる - 盛和塾シリコンバレー

塾長のお言葉になにも付け加えることはない。本当に仕事をしていて、土俵際のがんばりこそが自分の仕事だと想っている奴に会う。いや、自分自身か?土俵の真ん中でこそド真剣に緊張感を持って相撲を取りたい、仕事に臨みたい。

「人工知能の核心」を読み始める

まさか羽生善治氏に人工知能の核心を教えてもらうとは想わなかった。

人工知能の核心 (NHK出版新書 511)

人工知能の核心 (NHK出版新書 511)

本書は、NHKスペシャルの書籍化企画なのだそうだ。

www.nhk.or.jp

羽生氏のすばらしいところは、早くから人工知能の可能性を確信していたこと。

1996年版の「将棋年鑑」に興味深い記述がある。プロ棋士への「コンピューターがプロ棋士を負かす日は?」というアンケートである。(中略)多くの棋士が、そんな日は来ないと真っ向から否定していた。(中略)しかし、その日が来るのをほぼ正確に予測していた棋士がいた。羽生善治である。彼はその日を、「2015年」と答えていた。

そして、実際に2015年に何が起こったか?

将棋電王戦FINAL
2015年の3月から4月にかけて開催。

将棋電王戦 - Wikipedia

5局行われ、かろうじて人間の棋士が3勝と勝ち越した。

読めば読むほど、羽生氏の洞察の深さに気づかされる。進むのが楽しみ。

歴史というカオスの記述としての「サピエンス全史」

キリスト教がローマの国教となり、現代に至るも最大の世界宗教となるのは、歴史のカオス的ふるまいであったと。いわば、キリスト教ブラックスワンであったと。

その時代の人にとって、とうていありえそうもないと思える可能性がしばしば現実となることは、どうしても強調しておかなければならない。西暦306年にコンスタンティヌスが帝位に就いたとき、キリスト教は少数の者しか理解していない東方の一宗派にすぎなかった。当時、それが間もなくローマの国教になるなどと言ったら、大笑いされ、部屋から追い出されただろう。今日、2050年にはクリシュナ教がアメリカの国教になっているだろうと言うのと同じことだ。1013年10月、ボリシェビキはロシアの小さな急進的派閥だった。思慮分別のある人なら、彼らがわずか4年のうちにロシアを支配下におくなどとは、けっして予測しなかっただろう。西暦600年に、砂漠に暮らすアラビア人の一集団が、大西洋からインドまでの広大な領域をほどなく征服するなどと言う考えは、それに輪をかけて荒唐無稽だった。実際、ビザンティン帝国の軍隊が最初の猛攻を退けていたなら、イスラム教はおそらく、一握りの情報通しか知らない無名のカルトのままになっていただろう。その場合は、メッカに住む中年の商人に対する啓示に基づいた信仰が普及しなかった理由を学者はいとも簡単に説明できるはずだ。

https://twitter.com/hidekih/status/875829172026785792

歴史を研究すると、いかにも過去の歴史の動きが決定論的であると誰もが主張したくなる。ハラリもそのような文脈で人類10万年の歴史を語っているのだと思いながら読んでいた。しかし、歴史はカオスであると彼は言う。

一次のカオス(多量要因からの計算結果を一次で出す。天気予報など)
二次のカオス(株価予想や石油価格予想など、予想値の発表が更に対象事象に影響を与えること)

一次のカオス、二次のカオス、革命 - とめどもないことをつらつらと

もっとも、ジャレド・ダイアモンドも歴史の流れをカオスとして説明していた。

最後に作者は科学的な分析の対象としての人類史について考察し、カオス理論をあげている。カオス理論、べき乗則で歴史を読み解く試みはある。生成と消滅があれうからこそ、歴史的なプロセスをカオス理論、べき乗則でとらえられる。

人類の歴史は虐殺の歴史 - HPO機密日誌

例えば本書で示されるハラリ氏の仏教理解の深さに驚嘆する。カオス、非線形だと言っておきながら、見事に歴史の展開の中で肝となる要素を指摘している。

彼の「智恵」の根源はどこにあるのか?

ユヴァル・ノア・ハラリは厳格なヴィーガンで、1日2時間の瞑想を日課にしている。瞑想は集中力を養うのに非常に有効なのだそうだ。

「人類は10年後には細胞肉を食べ、100年後には消えるでしょう」|『サピエンス全史』の著者が17の質問に答えます(後編) | クーリエ・ジャポン

仏教とは執着を捨てることだ、幸福を求めるからこそ執着が生まれ、常に不幸、不満足となると、ハラリ氏は言う。その瞑想によって導かれた彼の幸福論なのだろう。まさに、線形思考、西欧的論理思考を超えた視点にハラリ氏の魅力はあると想う。彼はすでに「私」を捨てているのかも知れない。

そもそも線形にしか展開しない「私」という意識すら幻想である可能性がある。最近の脳科学の研究成果によれば、「私」がボールを認識して、「私」が「打て」と指令して、バットをボールにジャストミートさせるには、脳神経の伝達スピードは遅すぎる。「私」の後ろに誰かがいて「私」にボールの認識を与えながら、同時に「打つ」動作の指令をだしているとしか考えらない。実際には後ろの誰かは存在せず、脳内の非線形な過程がジャストミートを可能にしているのだという。
であれば、「私」を捨ててしまえば、思考はおのずと非線形型になり、複雑な相互作用を含む過程を脳内でシミュレートできるようになるのではないだろうか?

非線形現象を線形思考できるか? - HPO機密日誌

「サピエンス全史」読了

まだ、感想はまとまらないがとにもかくにも読了。

最後のHomo Deusに関する議論よりも、ハラリ氏の「幸福論」の方が興味深かった。遺伝子レベル、体内分泌レベルで、幸福感を制御することが十分に可能な現代において、それでも幸福とはなにか?実に、問われるべき問いだ。

もう少し内容を消化してから感想を書く。多分・・・。

復興する佐原

震災以来、いや、それ以前から衰退していると言われていた水郷佐原が実に素晴らしく復興していた。言葉で語るより、写真で見せる法がわかりやすい。

すべての写真-8026

すべての写真-8029

すべての写真-8030

すべての写真-8037

すべての写真-8039

www.timesclub.jp

いや、まあ、水郷佐原のどこへ行っても人でいっぱい。素晴らしい復興だ。

hpo.hatenablog.com

「サピエンス全史」の中の日本

「サピエンス全史」を日本人として読んでいて、なにが悲しいって日本がいかに人類の歴史に対して傍流であり、インパクトがないかという事実を想い白冴えること。

逆に言えば、日本は世界の歴史から見て傍流であったが故に、安定したいたのだろう。確かにネアンデルタール人の滅亡や、人類によるほ乳類の種の大虐殺、あるいは、南北アメリカ大陸の原住民への病原菌移転による文明の根絶などの人類の激しい歴史を見れば、日本がいかに傍流であったがゆえに1000年以上にわたって天皇制を維持できたことがいかに僥倖か分かる。

hpo.hatenablog.com

言わば日本人は、民族として「創造的無能」を選び取ったのだ。この生態学的地位がネット時代においていつまで続けられるのかは、保証の限りではないが。

本書はいわば人類の歴史の保守本流を扱っている。傍流に対する扱いは、家畜や、虐げられた文明や、女性に対する扱い以下。様々な疑義を歴史に示し、これまでないほど文化を相対化してみせる手腕は素晴らしい。しかし、歴史とはキリスト教ローマ帝国における台頭がそうであったように、誰にも予想できない傍流から変わってくる。

最後まで読み進んだ上で、この中心と周辺という問題に立ち返りたい。
hpo.hatenablog.com

文化相対主義としての「サピエンス全史」

ユダヤ人とは言え、これほどまで強烈にキリスト教の文化を相対化した文章にお目にかかったことが無い。

DCQwhx4WAAAiKwi

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

西欧の「自然」という概念すら、キリスト教の正統かいなかだとは想っていなかった。確かに、老子などの「タオ」と西欧の「自然」とは違う。

実際には、「自然な」と「不自然な」という私たちの概念は、生物からではなくキリスト教神学に由来する。「自然な」という言葉の神学的意味は「自然を創造した神の意図に一致した」ということだ。

そう考えると、pro、conというと、堕胎を認めるか認めないかを意味するほど、「自然」なセックス、「自然」な分娩にこだわり、右派左派を分ける試金石になるほどの重大事であることがわかる。

ハラリの根本的な疑義は、アリエスを思い出させる。

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

ハラリは夫とともに、エルサレム郊外にあるモシャブ(農業による生活共同体)に住んでいる。同性愛者であることが、常に通説に疑問を持つ彼の性格に影響を与えているという。

「『当たり前だ』と思っていいことなんてありません。たとえそれが、万人に信じられていたとしても」

ハラリの本を読む楽しみの1つは、世間では当然だと思われていることを再考するように我々を導いてくれることにある。彼は流行に時間を費やしたりはしない。

「人類は10年後には細胞肉を食べ、100年後には消えるでしょう」|『サピエンス全史』の著者が17の質問に答えます(後編) | クーリエ・ジャポン

実に楽しい読書体験だ。