HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

料理は楽しい!

最近、時間の使い方が芳しくなかったが、料理を再開して、ああ、これだと納得している。

以前は、ベーグルを焼いたりしていた。

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生パスタもずいぶん作ったな。

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手間暇かけること自体に充足を感じるし、それを食べてまたおいしいと思えてまた嬉しい。さらに食べてもらって更にうれしい。料理ってすばらしいなと。

開高健の墓

北鎌倉の円覚寺さんを訪ねて、たまたま開高健の墓を見つけた。奥さんとお嬢さんの名前と共に墓誌に刻まれていた。どなたが供えたのか、トリスの瓶があった。

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残念ながら、墓そのものは撮影禁止となっていたので、墓のあたりの風景。

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大学生の頃、なにか自分の中で危機感があり開高健をむさぼり読んだ。開高健は「闇」シリーズまで走り続けた。そして、なにもかも失い、ただ釣りに走ったのだと。恋人も、家庭も捨てて。

開高 健(かいこう たけし、かいこう けん[1]、1930年12月30日 - 1989年12月9日)は、日本の小説家。

開高健 - Wikipedia

私は開高健の没年齢を超えて生きていけるだろうか?走り続けていくのだろうか?

そういえば、以前「夏の闇」の「女」のモデルがいるという話しを読んだ。

「輝ける闇」のヒロインは素娥(トーガ)というベトナム女性。秋元啓一カメラマン(註2)が写していた、その素娥の写真を朝日新聞写真部で細川は見たというのだ。
〈素娥は白っぽいアオザイを着て毅然とした様子で立っている。均整のとれたしなやかな肢体。口元にうかんだかすかな微笑。つぶらな瞳。〉と細川は記述する。

自由人の系譜 開高健(3)「夏の闇」 : 同伴者の本棚

中年男は女がいなければ生きていけない。家庭的には不幸であったという開高健は帰国後、なにを女に求めていたのか?

「山火事」とは現代の日本だった

「反脆弱性」が面白い。苦痛をさけること、他人の金をあてにすること、表面的リスクを避けることこそが、いかに大きなリスクにつながるかが書かれている。

それは、言うまでもなく「山火事」の話。

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そして、次第にその「臆病者の抱えるリスク」の典型的な例が日本だと気づかざるを得ない。実際、こうタレブは書いている。

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産業革命のころのイギリスと同じで、アメリカの財産は、ひと言でいえばリスク・テイクとオプシ ョン性の使い方にある。アメリカは、合理的に試行錯誤する驚くべき能力を持っている。失敗し、や り直し、また失敗しても、そんなに恥をかくことはない。それと比べて、現代の日本はどうだろう。 失敗は恥になる。だから、人々は金融や原子力のリスクを被腰の下に隠そうとする。小さな利益のた めに、ダイナマイトの上に座ろうとする。朽ちた英雄、つまり高貴なる敗北に敬意を払ってきた 昔の日本とは、奇妙なくらい対照的だ。

つまりは、日本人は「小さな山火事」を消し続け、「大きな山火事」を自ら招いていることに気づいていないということだ。実に残念だ。

岩崎家家訓

先日、NHKの「ヒストリア」で岩崎弥太郎について取り上げられたと聞いた。まったくノーチェックだった。機会があれば見たい。その中で、岩崎家の家訓が紹介されたそうだ。調べて見た。

一、人は天道に背かざる事
一、親たるものは常に子供に苦労を掛けざるよう心掛くべし
一、他人の中言(中傷)を聞きて我が心を動かすべからず
一、一家を大切に守るべし
一、無病の時に油断すべからず
一、富貴になりたりと雖も貧しき時の心を忘るるべからず
一、人たるもの常に堪忍の心を失うべからず

坂本龍馬について:風に向かって~サムライ詩人・・・の放送に対するコメント

これは、実に私の曾祖父が作ったという私の家の家訓に似ている。いや、たぶん話しは逆で祖父は財閥の家訓を自分なりに勉強して自分の家訓を作ったのだろう。

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我が家の家訓にも、「萬神霊を敬拝し、忠君の道に深厚なれ」、「良友を選考、損友を遠ざけ」など似た項目が見られる。父からは渋沢家の家訓が下敷きだと聞いていたが、実は岩崎家の家訓に多く影響を受けたのかもしれない。

男は余裕があってなんぼ

先日、クリーニング店の女性との会話で「女子の方が『金の切れ目は縁の切れ目』って思っているよね」という話しになぜかなった。その女性いわく、「女子はケチは確かにあまり好きにならない。でも、お金のあるなしじゃなくて、余裕があるかどうかが重要。こっちが気にしてなくても、男側がお金がなくなると余裕がなくなってすぐに態度に出るのが嫌い」とのことだった。

それでも、確かに日本の女子はあまりお金お金言わないなぁと。

togetter.com*1

生物学的に見ても多くの種はオスが巣作りをしたり、派手な外見を誇ったり、メスの面倒を見て始めて交尾してもらえる。男女平等を形だけ真似るがために、女子が男子にお金や、負担を求めることが抑制気味になっているのは、世界的には稀なのかもしれない。

女性を幸せにしようと外に働きかける行いです。。外に働きかけることは色々あるとおもいますが結果として女性を幸せにするとともに男性もしあわせになっていきます。

嫉妬と自己憐憫こそ社会を動かす原動力 - HPO機密日誌

ま、昔から男は甲斐性。たまたま少し前までの日本の女性は、男を支えることに生きがいを感じてくれていた人が多かっただけ。特異な時代の特異な伝統。戦後はもう破壊つくされてしまったので、アジアの男性を参考にすべき時代なのかもしれない。

*1:いつのまにか消されていた。せめてもの代わりにブックマークを。b.hatena.ne.jp

セクハラの矛盾

刑法にふれるような犯罪を除けば、相手に対して性的な魅力をアピールすることは人間として大前提ではないのだろうか?生物の多くは生殖に莫大なエネルギーをかける。そりゃ、そうだ、その個体の、その種の最大の使命なのだから。「使命」とは「命の使い方」であり、性的な魅力の発揮は命の輝きそのものだ。身近な男女に「お互いに性的な魅力がなければ、お互いにアピールしあえなくなったら困るでしょ?」とよく聞いてみるが、みな「はい」と答えてくれる。「性」のアピールは生物として絶対必要なのだ。

hpo.hatenablog.com*1

性的な魅力がいかに力強いか?上野千鶴子の「セクシィギャル」における広告における性的な魅力の活用の分析を取り上げるまでもなく、明示的であれ、暗示的であれ、世間は「性」の刺激に満ちている。

hidekih.cocolog-nifty.com

そもそも、好もしい男性的、女性的魅力を過剰に享受することを「ポルノ」と呼ぶなら、人間の文化史において積み上がった「ポルノ」を活用すれば現在進行形で「ポルノグラフィー」を生産し続ける必要はない。それでも、ネット時代を迎えても拡大生産されている。このこと自体がそもそも、「交配可能性」、性的魅力が常に「今」存在しなければならないことを示している。

翻って、セクハラ問題だが、男女ともに、あるいは他の形態であっても、相手を魅了するようなみなり、しぐさ、言葉、性的規範に基づく行動など、人のありとあらゆる「生」は「性」いろどりを強調するようにできている。これに対して関心を示さざるを得ない。欲望を相手に感じるように仕向けているのだから、そこから目をそむけることはできない。あるいは、ありとあらゆる広告に潜む「性」の要素は排除できない。

性の問題は、ウーマンリブなどのムーブメントを振り返るまでもなく、できるだけおおらかに語られるべきであり、受容されるべきだと私は信じる。

女性よ、男性よ、強くあれ、美しくあれ、セクシーであれと。

*1:前回日和ってしまったので、本エントリーはリベンジと言える。

宇宙戦艦ヤマトのメッセージ

最近、ずいぶん、マンション、団地の外壁に足場を掛けた改修、メンテナンス工事を見かける。こうした様子を見ていて、この前からチラチラ「宇宙戦艦ヤマトイスカンダルの墓標のようだ」と感じていた。

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言うまでもなく、「宇宙戦艦ヤマト」という作品は戦後世代の私達にいろいろなメッセージを贈ってくれた。何度見直しても、そしてリメイクに触れてさえ、常に新しいメッセージを見出すことができる。

いまの私には、1974年のTV版ヤマトが目指したイスカンダルとは、未来の日本の幻視であったように思える。宇宙戦艦として復活した「戦艦大和」は当然戦後の復興した日本の姿が重ねられる。地球に襲いかかるガミラスとは、敗戦にまで追い込んだ連合国、あるいは枢軸の同盟ではあったが心を許した国とはなり得なかったドイツが重なる。救いを求めて「14万8000光年」先まで艱難辛苦の先にたどり着いたイスカンダルは、敵であるガミラス本星と二重惑星であった。地政学から言えば、恒星間航行が日常化した惑星であれば二重惑星という目と鼻の先の惑星がひとつの文明にとりこまれていないはずがない。それでも、松本零士イスカンダルガミラス二重惑星という設定をし、私達がずっと心を惹かれ続けてきたのは、ヤマト放映当時に選択可能であった2つの日本の未来がそこに映し出されていたからではないだろうか。

戦闘国家を目指したガミラスは、苛烈な競争を繰り返し、公害を撒き散らし国土を疲弊させても戦い続けるエコミックアニマルと呼ばれた高度成長期そのままの日本の未来。もうひとつのイスカンダル古代進の言う「我々に必要なのは愛し合うことだった」という道を日本が歩んだ場合の静かに滅びていく日本。実際、ゆとり教育という愛の道を選んだ果てに国際競争力を失い、少子高齢化のはてにイスカンダルの「墓標」のように古い建物が並ぶ日本が現実のものとなっている。コスモクリーナーDこそ発明できなかったが、日本においてはほぼ公害は乗り越えられた。清浄な日本の国土と、たったひとり残ったスターシア。なんという未来に私達は生きているのだろう。