HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「戦争調査会」を読み始める

昨年買って積読になっていた本書。例によって未完のプロジェクトであったが、完遂されていたら現代の日本の「負け犬」状態が変わっていたのではないかと考えている。

日本はブロック経済から閉め出されたから戦争になったとよく言われるが、「調査会」のごく初期から1920年台から1930年台にかけて日本の各国への輸出は大幅に伸びているのだという。また、「調査会」のメンバーについても分析が行われているが、1920年台、大正デモクラシーの「自由主義者」が多く参加しているという。「戦前の日本は暗黒時代」などとは大嘘で軍部が台頭し、全体主義的政策が横行したのは、太平洋戦争の前の何年かと、戦争中の5年あまりにすぎない。

なにより戦争処理を行った首相、幣原喜重郎が1945年8月15日に電車の中で見たという一場面が印象的だ。

「一体君は、こうまで、日本が追いつめられていたのを知っていたのか?なぜ戦争をしなければならなかったのか。・・・・・おれたちは知らん間に戦争に引き入れられて、知らん間に降参する。怪しからのはわれわれを騙し討ちにした当局の連中だ」。男は泣き出す。乗客も「そうだそうだ」と騒ぐ。

庶民の偽らざる気持ちだったのだろう。この一場面に現代日本の「負け犬」状況は孕まれたといっていいのではないか。なぜ国家、国民として「戦争調査」が徹底されなかったから「負け犬」となってしまったのかというエントリーをちょっと長いが自己引用。

フェミニズムの問題も、年金の問題も、過大な国の債務の問題も、すべて先の世代へ、先の世代へと問題を先送りにしているのがいまの日本の現状なのではないか?いまここで解決しようとせずに次の世代へ先送りすることが、全体的な了解事項となっているような停滞感がただよっている。

なぜか?

それは、いまの国民全体が負け犬だからだ。

戦争に負けた。

お役人に負けた。

自分の所属する組織の重みに負た。

負けた男の子どもなんて、女は産みたくない。

そして、そんな負け犬だから、問題を解決する力などないのだと、簡単に自己規定してしまう。だから、無駄な選挙になんかもいかない。デモクラシーなど理解しない。その父祖が流した血の重みが分からない、負け犬だから。

「負け犬の遠吠え」: HPO:個人的な意見 ココログ版

2004年のこの思考から、自分の生活においてはせめてそうなりたくないと自分でイニシアチブを取れる体制を作ってきたつもりではある。しかし、思考としてはここから一歩も進めていない。戦争についての知識は増えても、現代の日本に漂う「負け犬」の「空気」への対策など立てられそうもないまま馬齢だけを重ねている。本書を読みながら、よくよく考えたい。

そうそう、太平洋戦争を総括するどころか歴史的な展開すら直視できていないと、歴史を否定するばかりの国民になってしまうと昨晩危機感をもった。「今の若者は」と語ってしまう自分の「老い」を感じて入るが、若者を叱り飛ばしたい欲求を自分の内に感じる。

島耕作を読むと日本ってやばい国だったんだなってわかる

そういう日本があったから、いまの平和で、平等な日本があることを忘れないでほしい。完全否定してしまえば君たちの存在もないから。

2019/02/01 17:49
b.hatena.ne.jp