はてぶで幻冬舎代の見城徹社長の「圧倒的努力」という言葉へのバッシングコメントが続いている。
私も見城社長と同じく「努力は報われる」派だ。仕事においても、ゴルフにおいても、努力した分はかならず報われると信じている。また、何度も絶望しながらも、生き残ってきて、努力が報われるのを見ることができた。努力には臨界量のようなものが存在し、生き残り、なおかつ成功するには「圧倒的努力」が必要となる。そこで努力をやめてしまえば、それまでだが生き残っていければ、生存者利益が存在し、名声、信頼が生まれれば、大きなアップサイドがある。企業、商品開発、画期的な発見、発明などすべて「圧倒的努力」のアップサイドの証左だ。
出版社社長「圧倒的努力は必ず報われます」に対しブラック企業対策プロジェクト代表「たいていはうつ病になる」 - Togetterb.hatena.ne.jp遺伝的にどんな環境においても精神疾患等にならないタイプが一定数存在することが検証されている。努力はすべき。逃げるときは逃げるべきだけど、それは努力のあと。
2018/12/14 06:28
努力って誰にもできて、努力によって多くの格差が克服できる。ここを否定すれば残るのは才能、遺伝子だけ。才のある人には永遠に敵わなくなるだけなんだけど、みんなそれでいいんだね? https://t.co/CcA1Kh2LZS
— ひでき (@hidekih) 2018年12月13日
私はこの言葉が正しいと信じている。
勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし
松浦静山の言葉「勝ちに不思議の勝ちあり…」 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
これは勝ちにつながる努力にはアップサイドがあり、努力を怠った懈怠にはダウンサイドがあるという意味だと私は理解している。そう、たぶん努力を怠った場合のダウンサイドの方が、実は必要十分条件と言えるほどダウンサイドの確実性が高い。これは誰もが理解できる人生の常識だ。ただ、ダウンサイドを受けた時の矢印の方向を誤ると精神疾患や、健康への影響があったりする。人は順調に努力の成果を受けている時は、努力を続けられる精神的、肉体的健全さを維持できるものだ。
とにもかくにも努力はすべきなのだ。限界をもうけない努力をしなければなにも始まらない。