HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

宇宙戦艦ヤマトのメッセージ

最近、ずいぶん、マンション、団地の外壁に足場を掛けた改修、メンテナンス工事を見かける。こうした様子を見ていて、この前からチラチラ「宇宙戦艦ヤマトイスカンダルの墓標のようだ」と感じていた。

hpo.hatenablog.com

hpo.hatenablog.com

言うまでもなく、「宇宙戦艦ヤマト」という作品は戦後世代の私達にいろいろなメッセージを贈ってくれた。何度見直しても、そしてリメイクに触れてさえ、常に新しいメッセージを見出すことができる。

いまの私には、1974年のTV版ヤマトが目指したイスカンダルとは、未来の日本の幻視であったように思える。宇宙戦艦として復活した「戦艦大和」は当然戦後の復興した日本の姿が重ねられる。地球に襲いかかるガミラスとは、敗戦にまで追い込んだ連合国、あるいは枢軸の同盟ではあったが心を許した国とはなり得なかったドイツが重なる。救いを求めて「14万8000光年」先まで艱難辛苦の先にたどり着いたイスカンダルは、敵であるガミラス本星と二重惑星であった。地政学から言えば、恒星間航行が日常化した惑星であれば二重惑星という目と鼻の先の惑星がひとつの文明にとりこまれていないはずがない。それでも、松本零士イスカンダルガミラス二重惑星という設定をし、私達がずっと心を惹かれ続けてきたのは、ヤマト放映当時に選択可能であった2つの日本の未来がそこに映し出されていたからではないだろうか。

戦闘国家を目指したガミラスは、苛烈な競争を繰り返し、公害を撒き散らし国土を疲弊させても戦い続けるエコミックアニマルと呼ばれた高度成長期そのままの日本の未来。もうひとつのイスカンダル古代進の言う「我々に必要なのは愛し合うことだった」という道を日本が歩んだ場合の静かに滅びていく日本。実際、ゆとり教育という愛の道を選んだ果てに国際競争力を失い、少子高齢化のはてにイスカンダルの「墓標」のように古い建物が並ぶ日本が現実のものとなっている。コスモクリーナーDこそ発明できなかったが、日本においてはほぼ公害は乗り越えられた。清浄な日本の国土と、たったひとり残ったスターシア。なんという未来に私達は生きているのだろう。