HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「下坐に生きる」を読み始める

神渡良平先生の本をようやく読み始めた。冒頭の話しから涙。

下坐に生きる (Chichi‐select)

下坐に生きる (Chichi‐select)

冒頭の坂村真民の言葉から素晴らしい。

下坐という言葉と、その文字は、私の好きな、そして私の性格に合ったものであり、また生きるという言葉は、わたくしの一生を通して、わたくしの背骨を形成してきたと言ってよいものである。

下坐とは、と書きかけて「坐」の字を「座」と間違えていたことに気づいた。坐とは、屋根のない地面の上で人と人がすわること。人と仏が対等に向き合うことだと真民さんはおっしゃる。「座」では屋根がついているので、違うと。大地の上で、しかも人よりも下に坐ることが下坐であると。マザー・テレサも、一遍上人もみなそうだと。

この下坐を実践されたのが、冒頭の一燈園の三上和志さんのこと。三上さんがある病院を訪れた時に、であった18才の結核患者の少年。父が誰かも分からず、母もお産でなくなり、誰かも望まれないまま生を受け、育ったまさしく孤児。死の床にあるにも関わらず、誰にも心を開かず医者にまで喧嘩を売る始末だったと。そんな少年が三上さんの下坐の行動、無償の愛によって心を開いたお話しが冒頭に書かれている。

一燈園には、ご縁があり一度伺ったことがある。

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よくよく心にしみこませながら、本書を読みたい。