HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「真に意味ある生きる道」読了

改めて勉強になった。自分の生きる道を真剣に考えるべき時期なのかもしれない。よい時期に読ませていただいた。

真に意味ある生きる道―『道徳科学の論文』に学ぶ

真に意味ある生きる道―『道徳科学の論文』に学ぶ

モラロジー関係の現在の言説はともかく、広池千九郎博士の言葉は説得力がある。魅入られる。本書は、著者の人生を通じて肉薄していった広池千九郎博士の生の言葉そのものをテーマにしているところが素晴らしい。

 とこしべに 我たましひは
 茲に生きて 御教守る人々の
 生れ更るを祈り申さむ
       モラロジーの父

永遠の祈り

人は生まれっぱなしでは人ではない。だから、現代人の多くは、私もふくめてまだ人ではない。様々な世界宗教が根本的な贖罪、反省と更生をうながしている。広池千九郎博士のこの辞世の句は重い。

本書の中で心に残った部分をぬきがき。

P174

また、私たちがすでに身に付けている道徳的な標準は、みずからの生き方の標準としてだけでなく、多くの場合、他者を評価し、あるいは非難する道目ととなっています。そのことをよく心得て「邪を破らずして」をいっそう心がけないと、格言によって学ぶ最高道徳も人を評価し、非難する道具になります。廣池博士はご自身の心づかいの反省を、『日記』に「悪を見て悪と思うによりて、悪をなす人よりは、こちらがかえって災いにかかる。心を研くほど、すぐに人の悪が見ゆる。然る時に悪をなす人は何ともなけれど、かえってこれを思う我れの方が病となる」(大正元年八月八日、『日記』①八五ぺージ)と記しておられます。

言葉の矢印、知識の矢印も、まずは自分に向けることが大事。