国の存亡と地震保険が関わっているとは知らなかった。関東大震災とそれに伴う暴動によりいかに国が危機に瀕したかを見事に描いている。
- 作者: 片山杜秀
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/12/15
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1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の後は、朝鮮人の虐殺がおこり日本は本当に近代国家なのかと国際的な信用を失うほどであったという。また、実際無政府主義者、大杉栄を処刑するなど、政府側もパニック状態であったと。こういう中、火災保険が地震には適用されないことを知らなかった民衆がほとんど暴発寸前までいったと。
「謂ふ迄もなく被保険者は主として社会的中産階級に属し、保険金の所得を以て吾人の復活上唯一の財源とせり。若し救済案が全然絶望に帰せしときは、窮態その極みに達し、遂には思想上、如何なる変事を醸すやも計り難し。しかも之に対する保険会社の重役若しくは株主は、所謂資産階級に属し、常に一般的羨望・呪詛の標的となり、ややもすれば階級闘争を誘発するの虞あり」
天皇陛下が詔をだすほどの混乱の中、関東大震災後9ヶ月以上経って超法規的、超契約的措置により保険金額の1割程度の保険金がおりて騒動が収まったのだと。
その後も、地震保険をめぐる騒動は続いたと。
岡田啓介内閣時代の一九三四(昭和九)年には商工省で国営地震保険の具体案が策定された。けれど責任ある保険にすればするほど破滅的大震災での支払い額は天井知らずになる。国家の顚覆を防止するつもりの仕掛けが国家の破産と崩壊をもたらしかねない。危なくて踏み切れるものではなかった。
それでも、東条内閣において戦時的な措置として地震保険は成立した。ただし、この時の地震保険は終戦と共に終結したのだと。現在の地震保険は昭和41年に新たに制定された。しかし、1割程度の保証、国家が保証するなど、内容はほとんどそのままのように想われる。
火災保険約款では、通常地震・噴火・津波によって生じた火災による損害を免責事由としているため、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災や1964年(昭和39年)6月16日の新潟地震の場合などで、火災保険は罹災者救済策として役立たなかった。そこで地震保険の創設に対する社会的要望が高まり、1966年(昭和41年)から地震保険に関する法律と地震再保険特別会計法が施行されることになり、地震保険が実現した。
地震保険 - Wikipedia
保険は国家の存亡に関わるのかと。いや、国家的危機は当に地震というべき乗則的な危機にこれほどまでに脆弱なのだと。
風立ちぬ 劇場予告編4分 - YouTube
鈴木プロデューサーは「風立ちぬの製作に、3.11は影響していない」と述べてはいるが、この関連は見逃してはいけない。国家の存亡を地震と戦争から考えた映画だとしてみると、「風立ちぬ」は恐ろしい映画だとみえる。