HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

一人になるということ

先日、一人身になった友達といろいろ話した。まあ、私は一人身生活4年を過ぎたので、多少先輩面させてもらった。やっぱり、軽く一人で行けるレストランと、しっかり仕事をするクリーニング屋を確保することが基本だと同意しあった。レストランというほどしゃれてなくていい。深夜までやってるラーメン屋だの、カレー屋なんかでいい。一人ではいって、一杯飲んであるいて帰ってこれるところが時々必要になる。それが不自然な感じがしない雰囲気があればいい。クリーニング屋もいいかげんなところだと、すぐにボタンがぼろぼろになってしまう。ボタンが取れてしまうと、男の一人身には重大な問題。忙しくて、預けにいくのに少し間があいてしまってもさっとやってくれるかどうかも大切。着るものがなくなるとえらいことになるので、クリーニング屋は選ばないといけない。

大変お世話になった方が亡くなられた。弔問にうかがった。奥様にさめざまと泣かれてしまった。亡くなられたご主人は内外にしっかりした方であったので、奥様はすべてをご主人にゆだねられていた。お子さんも独立されてお二人暮らしであった。これからどうしたらいいのか、途方にくれていらっしゃる感じだった。もちろん、食べていくのに困るわけではないし、ご親族も近くにいらっしゃる。なにも心配はなにだろうが、これまで自分の人生を委ねた相手がいなくなることはやはりすごいことなのだ。

いずれにせよ、二人で暮らし始め、あるいは家族が増えていって、また一人身に戻ると言うことは世界が変わるほどの衝撃だ。それは、忙しくともクリーニング屋に自分でいかなければいけないということかもしれない。ちょっとした書類を自分でかかなければならないということかもしれない。それでも、自分の生活が変わる。長い間に普通になってしまった生活習慣はなかなかかわらない。

人はなんと不便な生き物だろうか。