カラマーゾフがいまだに読み終わらない。
- 作者: フョードル・ドストエフスキー
- 出版社/メーカー: ゴマブックス株式会社
- 発売日: 2013/03/20
- メディア: Kindle版
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キリスト教うんぬんはとりあえず置くとしても、人間社会における絶対的な善、絶対的な悪は存在するのだろうか?少なくとも、意図においてカラマーゾフの小説世界に一人として絶対的な悪はいない。カラマーゾフの父も、どれだけ滑稽な言動をしたとしても自分の人生と生活史において与えられた環境の中で最大限の善を引き出そうとしているのだと言うだろう。大審問官でさえ、自分は絶対的な善の意図をもってキリストを裁いたと断言するだろう。それでも、悪は確かに生じる。
もし、確かに神が存在し、永遠の命があるならば、絶対的な善、絶対的な悪の行動、存在はあるといえる。しかし、その基準を人間に当てはめ、どこかで線を引いて人間を二分しようとしたら、すべての人間は程度の差こそあれ悪の側に落ちるだろう。ここでキリスト教は終わり、仏教がはじまるのだと。
自分自身がカラマーゾフの兄弟たちより、父の年齢にはるかに近いのだと知って改めて愕然とした。ごく社会的な知恵として相対的な善、相対的な悪は存在する。自分の信じるところを10年行動しつづけると、なにが善であったか、なにが悪であったかが自然と分かる。不思議なくらい行動の結果が自分の身に現れてくる。