あれから2年。いま当時のブログを読み返してみると、震災の被害はそれなりにあったが案外普通に暮らし、仕事をしていたことに気づく。
デイ1 : 液状化 - HPO:機密日誌
巨大地震の震源からはほどとおいのに、我が街は震度6の揺れだった。電気や水道のインフラは正常なので一見平穏だが、やはり被害は結構ある。私鉄とJRが復旧したのも、今日の午前中だ。
こういう時こそ、日頃街の方々にお世話になっている我々が恩返しをする機会だと張り切っている。キャパがないので、ネットで流す事さえしなかったが、一部の施設を公開して避難所にした。今朝も多くの社員が出社して朝から災害復旧対策に走り回っている。
栄える街には、そこに根づいた企業が必要だと言うひごろの自分の主張を立証したい。
デイ2 : 状況 - HPO:機密日誌
地元の建築屋にできることとはなにか?
まずは地震の被害に遭われた方の一次対応だった。まず当日は社員全員を自宅に帰して、家族の安否確認、生活の確保をしてもらった。震災で出先から帰れなくなった社員を除いて、ほとんどの社員が震災の翌日の土日に出社して、対応してくれた。当日以降、自社のお客かどうかにかかわらず、震災の被害への対応の依頼でかかってきた電話にはすべて対応した。これはいまでも誇りに思っている。
当然、自社で施工させていただいたお客様への被害状況の確認もした。かなり地震の被害に直面した地域での建設もしていたが、お陰様で自社で建築した建物にはほとんど被害がなかった。液状化が起こったところで、インフラが断絶したのが一番大きな被害だった。1m以上沈下してしまった地域のお客様のところは、いまだに境界が確定できないと聞く。
落ち着いてからは、身近なところでの震災で被害に遭われた方への支援をした。我が街にも東北で震災被害に遭われた方が移り住んでこられている。被災された方々へのチャリティとして、映画「エクレール」の上映を地元のロータリークラブによって行われた。この収益は、それらの移り住まれた方々の支援に使われたと聞いた。
震災前の石巻の風景とこの映画作りを支えた宮城県民の皆さんの心をスクリーンを通して大勢の方に届けるため、「震災前の石巻の風景と宮城・福島県民の心を全国に!」を合言葉に公開。
『エクレール・お菓子放浪記』チャリティ試写会舞台挨拶 - YouTube
2年経った今日、改めて会社の社員と誓い合ったのは、ひとつひとつの仕事にこころを込めて、誠意をもって向き合っていこうということ。建築の仕事は、数十年、願わくば百年を超えて残っていく。だからこそ、震災に負けない建物を誠意を込めて作って行くことがなにより大切。そして、建築の仕事を通して、ふるさとづくり、街づくりに少しでも貢献すること。人の絆づくりこそが最大の防災だとおっしゃった方がいらっしゃった。その通りだとつくづく思う。