HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

坐禅とは私を手放すこと

経営を学ぼうと経営の本を読んでも、リーダーシップ論を読んでも、陽明学をひもとこうとしても、如何なるセミナーに出ようと、究極の結論はひとつ、私を手放すことだ。ドラッカーが経営で一番大事だとした真摯さ、integrityも欲と怒りと迷いを手放すこと以外のなにものでもない。「私心なかりしか?」と盛和塾の稲盛塾長もおっしゃっているネルケ無方さんのおっしゃるとおり。「私を手放す」、これだけだ。

私を手放せば、そのものになりきった自分しかいない。社長をやるときは社長だけ。歩くときは歩くときだけ。食べるときは食べるだけ。そこには自分など必要ない。ここに立てば、たとえば陽明学にいう「格物致知」とは、「そのものになりきれば、そのものごとがわかったのと同然だ」と言っているに過ぎない。

そのものになりきるのに、坐禅ほどの近道があろうか?

ただ坐る 生きる自信が湧く 一日15分坐禅 (光文社新書)

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