HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

生きる力

ツイッターで「生きる力とはなんですか?」と聞かれた。

いわゆる若者層の人間です。 多分ゆとり教育なるものの中で学びましたが生きる力に関しては学んでいないように思います。 生きる力とはなんですか? 例えば貧困の中でバイトをしながら必死に学ぶことは生きる力とは無関係ですか?

https://twitter.com/liliyvn/status/232968868631552001

生きる力は、行動によってのみ生まれる。考えているだけでは生きる力、命の力は燃え上がらない。行動は、自分が受け止めた課題によって生じる。困難であっても、不運の結果であっても、公のことでも、私のことでも、もっと言えば幸運なことでさえも、課題ととらえて前向きに行動するとき、生きる力は強化される。人に矢印を向けている間は、自分の命は燃え上がらない。もっと言えば、相手にも、自分にも一切の後悔などない形の行動。自分の全身全霊で決めた形の行動を一心不乱にすること。

それしか、私は生きる力を高める方法を知らない。

映画の「八甲田・死の彷徨」で、主人公の危機的なシーンに、ある意味牧歌的な少年時代の風景が差しはさまれる。生きる力は、こうした少年時代の夏の日にはぐくまれるのではないだろうか?なにげない自然な生活こそが生きる力の源泉なのだと信じる。行動の源なのだと信じる。

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要らない蛇足。逆に、なぜ自分が左翼的な運動、あるいは社会主義の考え方に嫌悪感を持つのか、この議論で気づいてしまった。カーネギーの「人を動かす」に13人以上を殺した殺人犯の話しが載っていた。実に残虐で、衝動的な殺人を繰り返した犯人だ。死刑台に連れて行かれる時ですら、「俺は無罪だ。俺は悪くない。社会が悪いんだ」と叫び続けたそうだ。矢印を自分に向けられない人間は不幸だ。自己憐憫は、人と失望と恨み節にしか導かない。同様に、左翼的・社会主義的な考え方では、すべての責任を国家の側にもっていきながら、同時に国家を避難する。これぐらい、自己責任を否定する考え方があろうか?矢印を相手にだけ向ける考え方があろうか?

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