一応ファイナンスメジャーだったので、利率の決定メカニズムのところに来ると黙っていられなくなる。
ケインズの利子率決定のところから、勉強のために孫引きしておく。
- 作者: 竹中平蔵
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/11/17
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まず、資本の限界効率と投資については。
正確に言うと、耐用期間を通じてその資本資産から得られると期待される収穫によって与えられる、年収益系列の[割引]現在価値を、その資産の供給価格にちょうど等しくするところの割引率が、私の定義する資本の限界効率である。
これって、こういうことと違うの?
社会的に見たときの内部収益率(Internal Rate of Return)、あるいは投資をするときに期待利率で現金を現在価値に割り戻した正味現在価値(Net Present Value)とインフレ率が一致するように考えていた。
アダム・スミスの自然率 - HPO:機密日誌
孫引きをつづける。
実際の投資率が、限界効率が現行利子率を上回るいかなる種類の資本資産ももはや存在しなくなるところまで推し進められることは、いまや明らかである。換言すれば、投資率は資本一般の限界効率が市場利子率に等しくなる投資の需要表上の点まで推し進められる。
まったく違うのなら誰か教えてほしいのだが、これってこういうことじゃないの?
事業家、地主、労働者のそれぞれがどれだけの収益を期待しているか、その社会が進歩しているのか、停滞しているのか、衰退しているのか、で期待利率は変化するし、変化せざるを得ないのだと私は想う。つまりは、大きな目、あるいていどの時間の長さで見れば、社会の進展と経済の収益率は深く関係している。ま、事業家でありたいと想う私からすれば、IRR、NPVの高いイノベーションのエッジの聞いた事業をすることが、経済をこそ進歩させるのだと主張したい。これは王侯貴族から、政府まで特権や経済統制を嫌ったスミスの考えに近いと私は信じる。
もちょっと先までつづけないとほぼ意味がないのだけど、あまりに眠いので今日はこの辺で。