HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

アダム・スミスの自然率

「神の見えざる手」よりも、人の自然な利潤率である「自然率」の方が目に見える。そして、経済と経営の分野ではより具体的で大切。

p.167-

まず、スミスは、現実の価格は市場価格(market price)に一致すると考えた。(中略)こうして、現実の価格は、需要者間の競争、供給者間の競争によって市場価格に一致する。

一方、自然価格(natural price)とは、賃金、利潤、地代の自然率によって構成される価格である。賃金、利潤、地代はそれぞれ、労働、資本、土地など、商品の生産に必要なサービスに対する報酬であり、それらの自然率とは、その社会において、一般的、平均的であるとされる報酬率(サービス単位あたりの報酬)のことである。ある商品一単位の生産に必要な労働、資本、土地のサービス量は技術的に決まっているので、それらの量に、賃金、利潤、地代の自然率を掛け合わせれば、その商品の自然価格を求めることができる。

この前後に2つ重要な脚注がついている。

2.スミスは、賃金、利潤、地代の自然率は、社会が進歩している状態にあるか、一定の状態にあるか、それとも衰退している状態にあるかによって左右されると考える。


4.スミスは、ある商品について、自然価格を支払う意思のある人の需要を「有効需要」(effectual demand)と呼んだ。供給が有効需要に一致する場合には、市場価格は自然価格に一致するだろう。供給が有効需要を下回るときには、市場価格は自然価格を上回るだろう。反対に、反対に、供給が有効需要を上回るときには、市場価格は自然価格を下回るだろう。しがたって、すべての商品の市場価格が自然価格に一致する傾向をもつということは、すべての商品の供給が有効需要に一致するということである。

単純に考えれば、以下のようにはならないか。

「進歩している状態」 = [ 供給 < 有効需要 ] = 高い自然率
「一定の状態」 = [ 供給 = 有効需要 ] = ぎりぎりの自然率
「衰退している状態」 =  [ 供給 > 有効需要 ] = 低い、あるいはマイナスの自然率

経営、ファイナンス、あるいは社会慣習的に見たとき、長期に渡る内部収益率(Internal Rate of Return=IRR)とインフレ率は一致する。あるいは、投資をするときに現金を現在価値に割り戻した(Discounted Cash Flow=DCF) 正味現在価値(Net Present Value=NPV)の期待利率と、インフレ率はバランスする。現実の応用場面においては、インフレ率なるものはバスケットで市場の価格調査に基づいて算出されるので、事業あるいは投資のDCF、NPVの導出の期待利率とはかならずしも一致しない。では、10年といった長期で考えたIRR、NPVにおいてDCFを算出するときの期待利率は何に近似していくのか?なかなか分からなかった。

上記のアダム・スミスの考えにふれ、期待利率こそが自然率なのだと得心がいった。事業家、地主、労働者のそれぞれがどれだけの収益を期待しているか、その社会が進歩しているのか、停滞しているのか、衰退しているのか、で期待利率は変化する。変化せざるを得ない。大きな目、あるい程度の時間の長さで見れば、社会の進展と経済の収益率は深く関係している。事業家の目からすれば、IRR、NPVの高いイノベーションのエッジの利いた事業をすることこそが、経済を進歩させるのことなのだ。これは王侯貴族から政府までの特権や経済統制を嫌ったスミスの考えに近いと私は信じる。

マネタリズムというのだろうか、リフレ派というのだろうか、貨幣のみによって経済を制御可能だとする考え方は、この期待利率=自然率という立場からいえば間違っている。スミスが重商主義を非難するように貨幣の量自体ではなく、貨幣で交換可能な選択の束の幅の広さこそが経済の価値であり、生活の幸福なのだと私は想う。この意味で、選択の束としての貨幣は選択の幅、事業家・地主・労働者が期待する自然率の反映にしかならない。

そして、その自然率は社会が進歩しているか、一定の状態なのか、衰退している状態なのかに大きく左右される。つまりは、ドラッカーの言うイノベーションが連続しているか、人口、それも就業人口が増えているか、所得が増えているかが、自然率を決め、経済の価値を決めるということにはならないだろうか?

いずれにせよ、なにがあっても、成功しても、失敗していも、スミスが最終的に到達した「吾唯足るを知る」といった心境を常に持ち続けていたい。


■なるほど

池田先生のおっしゃっていることが分かる気がする。

上野泰也氏もいうように「デフレの原因は実物経済の需給バランス」なので、実物経済を改善しないでデフレを直すことはできない。現在の標準的なマクロ理論によれば、デフレの罠の原因は自然利子率が低い(負になっている)ことであり、その原因は潜在成長率が低いことだから、潜在成長率がゼロに近いとき人々がデフレを予想するのは合理的なのだ。

池田信夫 blog : デフレ論争の終わり

やっぱり、経済学ってアダム・スミスまでさかのぼらないとわからないのかも。