HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

戦争と平和 : 国破れても

ベトナムを見ていると戦争ってなんだったのだろうとつくづく思う。*1




あれだけ激しく戦って追い出した米国、韓国の企業が街にはあふれている。支配国であったフランスの遺産もいたるところに見られる。それでも、そこに悲惨な歴史があったことは消え去ってはいない。


戦争で勝っても、負けても、世界的にある程度は人権を補償しようという現代においては、他国に移り住むことはできるし、商売はどこでもできる。それでも、自分のルーツをひっこぬかれた悲惨さは補償できない。回復できない。

まったく自分のことだけ、親兄弟のことも、子々孫々のことも考えなければ、「尖閣諸島なんか明け渡しちゃえばいいじゃない」という発言もできるだろう。しかし、文化と歴史があるかどうかがいまだに国と人々の盛衰を分けているのも事実。

ホリエモンを「排除」したほぼ当事者の方ともお会いすることがあった。たしかに優秀な経営者でいまの日本の閉塞をうちやぶる力をもっているかもしれない。しかし、もうすこし国と歴史と文化に経緯をもっていればあのような転落をすることはなかったのではないかと、一連の発言を聞いていて思う。

ま、それこそ、人のことはどうでもいい。自分がどう行動するかだけなのだが。

*1:ま、結局ベトナムは戦争に負けたのではなく、勝ったからという議論はある。しかし、勝ってからのがつらい歴史が続いた。ドイモイ政策になり、アジア全体が繁栄してきて、外国を受け入れてはじめていまの繁栄につながっている。戦争に勝つか負けるで、領土を競うよりもお互いを信頼し合い、成長し合い、投資し合うことの方が武力であらそうよりも配当が大きいとみなわかったことが大切。この観点でいえば、ホリエモンの議論を否定しない。