「繁栄」の最後まで来てこんなパラグラフに遭うとは思っていなかった。
- 作者: マット・リドレー,Matt Ridley,柴田 裕之,大田 直子,鍛原 多惠子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/10/22
- メディア: 単行本
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子どもたちはタンパク質不足で腹が膨れ上がり、汚染された水によって本来なら予防できる赤痢に苦しむ。屋内の煤煙のために予防可能な肺炎で咳をする子、治療可能なエイズで衰弱してゆく子、罹らずに済んだはずのマラリアで身を震わせる子がいる。乾燥した土で作った小屋、トタン屋根のスラム、味気のないコンクリートのビルに住み暮らす人がいる(西側のアフリカも含めて)。書物を読んだり医師に診てもらったりする機会に一生恵まれない人もいる。機関銃を抱えた少年や、身を売る少女がいる。
しかし、例えばアフリカで貧窮している人たちを「資本主義の犠牲になっている」みたいに言うのは間違いだ。世界は圧倒的に「繁栄」している。どれだけマラリヤに苦しめられているとはいえ、現代の生活の方が、孤立した部族社会で一生を過ごすのよりははるかに幸せだ。いや、ぬくぬくと先進国で暮らす私が言うべきことではないが。
過去200年で世界のGDPは何倍になったろう?千倍?一万倍?グラフだでは読み取れないほど、19世紀初頭のGDPは低い。一人当たりのGDPでも20倍、30倍と増加している。格差は大きいとは言え、GDPから、衛生問題からあらゆる面でよい方向、「繁栄」に向かっている。アフリカの停滞は確かに解消されてなければいけない問題ではあるが、よい方向に向かっているのは間違いないのではないだろうか。
これだけジャレド・ダイアモンドとマット・リドリーの主張は異なるのに、なぜ最後はここに行き着くのだろうか?不思議ではある。
一方は、人類史をゼロ和ゲームとしてとらえ、虐殺と略奪の歴史とみる。他方は、非ゼロ和ゲームとしてとらえ、人類史を比較優位の原理に従った交易と富の拡大とみる。
人類は、相互の違いのために、土地を取り合い、資源を取り合い、殺し合う道を歩んだととらえたのがジャレド・ダイアモンドの見方。
人類は、相互の違いを生かして、生産物を交換し合い、製品を交換し合うことで、交易による比較優位で繁栄してきたととらえるのがマット・リドレーの見方。
人類の歴史は、ゼロサム・ゲームか?非ゼロサム・ゲームか? - HPO:機密日誌
さて、今日はもう寝よう。