HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

現場を知っている社長はよい社長

社長は社長でも、脳内のホムンクルスな「私」という社長の話。

以前、「私」なんてせいぜい雇われ社長のようなものだという話をした。人の脳内を「人」株式会社として考えてみよう。

「人」株式会社にも社員もいれば、株主もいる。特に、社員持株会が発達していているといえる。体内に抱える「手」だとか、「眼」は、「私」の指揮下にある「社員」であると同時に、「私」を裏から制御する「株主」でもある。直接間接の「私」と「身体」の間での、「報告」と「指令」といったやりとりにおいて、「社員」のいうことを聞かないとさまざまな病気だの、欝だのといった形でしっぺ返しを「私」社長はくらう。いやぁ、実感をもって断言できる。

「私」に影響を与える株主は、「身体」の外にもある。「他社」である「他人」からも「恩」だの「義理」だの「愛憎」という「貨幣」であがなわれた「私」株式会社の「株式」を所有されている。「私」株式会社のシェアをたくさんもっている「他人」がいかに「私」の身体全体、情動全体に影響力を持つかは、深く人を愛したことのある方ならきっとわかるだろう。

さてさて、そりゃ、社長だから、よい社長、悪い社長があるだろうということになる。誰でもわかる様に、良い社長とは、「会社」のすみずみまで現場を知っている社長だ。悪い社長は、社長室の中で現場を知らずに威張り散らす社長である。つまりは、さきほどの「手」だの、「眼」だのと会話をきちんとしている社長は、社員であり株主である「身体」という「社員」から信頼され、いろいろなことを教えてもらえる。現実の社長と同じだ。よい社長でいたければ、自分の身体という内部であり、外部である「社員」をきちんと対話し、学ばなければならない。

「私」が変化を得ることができるのは、「私」社長の理屈をこねくりまわすからではない。「身体」社員ときちんと対話した「私」社長だけが、「私」が直接見聞き感じることのできないものを感じ、ものごとを造り出せる。

それだけ。