HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

時間本位制通貨

人々の幸せと経済を一致させるためにお金の総量を、いま生きている人の余命の合計をベースに考えることにしたらどうだろうか?「時は金なり」とよくいう。これは、借りた金なら生きているうちに返すのがあたりまえ、自分に与えられただけの余命の分以上の資産はほんとうに必要なのかという素朴な問いに発する。

...「時は金なり」と、いいながらその真実の意味すら考える時間がない私はなんなのだろう...やはり、師走はなにかとあわただしい。


さてさて、さっきの方程式を見て、商売人として、大切なことを忘れていた。

いま生きている人の余命の合計 × 時間あたりの生活費用 × 回転数


大事な要素をわすれていたのは、企業なら自分の資産を何回転させて売上をうるかという努力だ。単純に余命×生活費用ではすまない。資産を正確に一年に一回転だけさせることは実はかなり困難なこととだ。経済の効率からいって、何回転最大させられるかは実は政策マターだ。よって、回転数をここに入れることは大なるポイントだ。

お金はまわらないといけないわけだが、1年ですべてのお金がまわるのであれば倍率は1でよいし、回転が落ちているなら大きく、上がっているなら小さくすればよい。

いまは説得力はないけれど、長寿は人の幸せの尺度であった。ついさっきも話したがついこの間まで親が子どもの葬式をあげることくらいの不幸はなかった。子どもを殺されたら、その瞬間から復讐が私の人生の最大の目的になることは疑いない。子は、人に許された時間のなかの最大の喜びだ。子が親より先に死ぬことほどの不忠はない。

人の幸せは不老長寿であるのなら人の幸せの量と貨幣を一致させなければいけないというのが基本的な考え方。人が幸せになればなるほどお金はまわる。

量にはどめがかかるのだから、利子などで増やすにも限界が生じる。銀行の信用創造にはどめをかけられるのではないだろうか。お金を借りたら返さなければならない、...生きているうちに。であれば、自分ができる最大の信用創造は自分の余命に比例しなければならない。すべての国民の余命をまかなう以上のお金は実は必要ではない。新生児が一人うまれれば、80年あまりの時間を総体の時間に加えればいい。それ以上のお金は対外的には意味があっても、国内の貨幣の流通の上でいえば、虚数のお金を生む手伝いをするだけにすぎない。虚数解をもつのでなければ、お金の総量はそれを返済するにたるだけの人の余命の合計に比例しなければならない。

それじゃ、日本の円の量が少なくなりすぎるという人がいるかもしれないが、量の差は為替の変動相場制を維持すればそこで調整できるのではないだろう。国内はあくまで人の幸せの量しか流通させないが、対外的には価値があがるか、下がるかで調整可能。

この方式でいえば、円は限りなく上昇するであろう。上昇したとしても、対外的な価値が上昇すると考えればいい。逆に円が下落すれば輸出が」より付加価値を得れれればよい。基本は為替レートにすぎない。


まだ十分に考えられないけど、このエントリーを考えるヒントは実は池田先生。

それはGDPベースではマイナスだが、消費者は幸福になる。だからGDPとは別の指標を考えないと、情報社会の幸福を計測することはできない。

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また、すごく刺激的だったのは、勢川びきさんの4コママンガだった。

景気後退だと騒がれているが、誰もこの危機で死んだわけではなく、ものや生産財がなくなったわけではない。技術が後退したわけでもない。お金は実はいくらでも信用創造できる仕組みは温存されている。後退したのは金融機関への信頼と消費マインド。その裏にあるのは、いいようのない不安感だけ。

ブラックスワンを読んでいて、ああとおもったのは、レバノンの内戦状態でも自殺するひとはいなかったのに、ブラックマンデーでは自殺者がその日のうちに出たことにショックを受けたという話であった。

The Black Swan: The Impact of the Highly Improbable

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