HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「寝ながら学べる構造主義」を読了した

実に興味深い事柄がいっぱいあった。まだ解釈や感想をまとめるほどじぶんの中で落ちていないが、ぴんと来たところを抜き書きしておく。

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

ニーチェによれば、「大衆社会」とは成員たちが「群」をなしていて、もっぱら「隣りの人と同じようにふるまう」ことを最優先的に配慮するようにして成り立つ社会のことです。群がある方向に向うと、批判も懐疑もなしで、全員が雪崩打つように同じ方向に殺到するのが大衆社会の特徴です。

ギリシア悲劇を見て感動している古代ギリシア人の「感動の仕方」そのものに感動するという、「自乗された感動」によって、ニーチェは「いっさいの文明の背後に絶えることなく生き続け、世代や民族史がいくたびか移り変わっても永遠に不変な」(「悲劇の誕生」)ものに触れることを望んでいたのです。

古代において権力は剥き出しのものでした。それが中世から近代に下がるにつれて、しだいに輪郭を曖昧にしてゆきます。それは必ずしも権力が非暴力になったということを意味するわけではありません。権力は、当たりの柔らかい理性的な「代理人」である「学術的な知」を介して、むしろ徹底的に行使されるようになった、フーコーはそう考えます。

「コピーライト」あるいは「オーサーシップ」という概念は、その文化的生産物が「単一の産出者」を持つ、という前提がないと成り立ちません。(中略)近代までの批評はこのような神学的信憑性の上に成立していました。

「人間は生産=労働を通じて作り出した物を自分が何ものであるかを知る」というヘーゲルマルクス主義

キーワードは「反対給付」です。これは要するに、何か「贈り物」を受け取った者は、心理的な負債感を持ち、「おかえし」をしないと気が済まない、という人間に固有の「気分」に動機づけられた行為を指しています。

それは、「人間は自分が欲しいものは他人から与えられるという仕方でしか手に入れることができない」という真理を人間に繰り返し刷り込むことです。

効果の第一は、贈与と返礼の往還のせいで、社会は同一状態に止どまることができない、ということです。

無意識の部屋」に閉じ込められて「冷凍保存」された記憶を「解凍」すると、「昔のまま」の記憶が甦るというふうに考えるのは、おそらく危険なことです。記憶とはそのような確かな「実体」ではありません。それはつねに「思い出されながら形成されている過去」なのです。

ラカンはここで音楽の比喩を使っています。五線譜の上での楽音の動きにとって重要なのは、ある音符と別の音符のつながり方や、五線譜上の別の音符との和音です。それだけが意味を持ちます。五線譜から切り離されて、単独に取り出された「音そのもの」には音楽的には何の意味もありません。

人々が「独裁者」を恐れるのは、彼が「権力を持っているから」ではありません。そうではなく、「権力をどのような基準で行使するのか予測できないから」なのです。

これは例のハラスメントといっしょだ。