HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

経営とは「縦糸を営む」と書く

トラックバックをいただいた。

個人的な感覚を喩えるならば、信仰心というのは「足場の地盤の堅さ」みたいなものなんじゃないかなと思う。

マ儿コの日記 - + - +

途中でストップしていた思考を呼び覚まされた気がした。

先日ある織物の専門家と会う機会をいただいたのだが、織物の縦糸と横糸の組み合わせの仕方を「組織」と呼ぶと教えてもらった。

縦糸と横糸が「組織」を作り上げる行為は美しい。それぞれすべての交点で柔軟な交わりがあるからこそ、組織は美しく織り上げられる。

木の葉の中なのか? - HPO:機密日誌

やはり縦糸がそろっていてこそ色とりどりの横糸が生きるのだと思う。経営を志すものは、目先のことで右往左往するのではなく、縦糸に徹するべきなのだ。

ああ、ちゃんと「経て」って変換できるんだね。

ばかでもいいから縦糸に徹するためにはある種の信念が必要になる。この信念は、広く人に受け入れられるものでなければならないのだが、得てして人はこころかたくなでよわいので、宗教的な至高の現実を使ってしまうだろう。まだ、上杉謙信でそうであったように(と、私は信じる)信仰であれば救われる道もある。それが、宗教団体にとらわれてしまった経営者は、どこかで必ず道を間違えることになる。そして、それは多くの人の生活に対して責任を負うべき経営者がするべきことではない。