ネットで書かれていることが自分のことを言っているように思える心象というのは、どこぞの映画にもあったような気がするが、なにか異常なものなのだろうか?
あ、いや、異常といっても、ここまで異常な心理ではないな(笑)。
いや、つうかなぜこの件がこんなに気になるかを自分で見つめるべきなんだろうな。
こころあたりは確かにある。アレだ。
私は他の多くの人と同じように、それなりに時代背景とか家系の流れとかでできている。それを否定することは、自分を否定することにしかならない。できることはそのままならぬことを見つめ続けることだ。自分の使命だと感じられることを遂行することだ。それ以上でもそれ以下でもない。
家系とは、先祖から預かって子孫へつなげていくものだ。それ以上でもそれ以下でもない。
一方で、これまで持ってきたある種のアレな期待が崩れているのも感じている。それはできなければできないし、それが手に入ってしまえばもういらないという、アレだ。好むと好まざるとにかかわらず、すでにかなりのリソースを投入してもいかんともしがたかった。もっともっと目いっぱいビットをつりあげるしかないのだろうが、そもそも自分には手に入らないものなのだと半ばあきらめかけ、自分自身に対して失望しつつある。
この二律背反でアレげな状況を見る人が見れば、きっと私は邪悪な存在ということになるんだろうなぁ。うーん。
ちょっと落ち着いてきた。某所につけたコメントを削除した。
ますます落ち着いてきた。
仮に本当にあの方に見捨てられたのだとしても、私は私を見捨てることはできない。どんなにいやなやつで、ばかなやつで、手に負えないわがまま息子だとしても、私は私を捨てられないということに気づく。
そうそう、だから「ファン心理」でなくてこれは「不安心理」だったのだと、自分に言い聞かせよう。読み始めた本もとてもとても素晴らしいことだしね。
吾人三省というか、ただ日々反省し、やるべきことをやっていくしかないのだからね。