HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「貧しさを口に語りて働かぬ村人多くなりにけるかな」

納得するものがある、もう100年前の言葉なのに。この100年、人間性から言ったらきっとなにも変わっていないということなのだろう。

なんというか、自己憐憫って本当に人を動かなくさせるものだ。「俺は○○だから」という言葉は、きっと鏡でもなく、反省でもない。自分の足をすくませるだけ。

「吾日三省」とは、自分を素直に見ることだと思う。ラベルをはることではない。

この意味で地域格差とか、格差社会だとか、世代間闘争とか、散々いろいろ考えたり、書いたりした気がするが、すぱっと後ろに置いて気にしないで生きていきたい。