信頼性の有無か?やっていることは似ている?
昔から、日本は軍隊からお役所から現場の柔軟性が尊ばれ、強さの源泉となってきた。そこにあるのは、「調整」だ。どのように厳密な体系が構築されていてもそこから無限に豊かな「調整」が生み出されてきた。
現在、遵法ということが叫ばれているのは、私自身を含めて「調整」能力が日本国民の間から失われつつあるからではないか?
そして、失われていく原因の第一はマンツーマンで発揮される相手への信頼性の喪失であると私は信じる。
だからこそ、魂である信頼をぬかれた形だけの「調整」が偽装を生むのだ。