HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

人の前で話をするということ

なんつうか、心臓に毛が生えているせいか、あまりあがったりはしないのだけれど、どれだけ人に伝わっているのかかなり不安になる。「雄弁は銀、沈黙は金」なんてのは、わかりやすいだけであんまり真実を言い当てていないと思う。

でも、山本五十六の言葉だと伝わるここには一片の真実を感じる。

やって見せて
 言って聞かせて
やらせて見て
 ほめてやらねば
人は動かず

やはり、生きているぎりぎりのところでどこまで自分の思想なり理想なりを持ち続けられるかというのが、とても大事なのだと思う。今日、「心」ということについて議論をしたが、言志四録や、菜根譚に出てくる「心」というのは、なにか自分の覚悟といった意味を含んでいるように感じる。

ぎりぎりの思想とぎりぎりの行動とぎりぎりの言葉のぎりぎりのところを試すのが、日常の生活なのではないだろうか?

ま、つまりは私はごく単純にできていて、あまり難しいことはわからん、とそういうことかもしれない。