尾崎の手記というのを読んでいる。国も同僚も友も親も妻も裏切らなければ作れない社会とはどんな社会だろう?体制がどれだけ理想的でも、方法が悪と裏切りで作られた社会はどんなだろうか?私は絶対にそんなところに住みたくない。汚濁の中でも家族や信頼できる友と暮らしていきたい。社会とは自覚しているより習慣でできている。
北一輝の「日本改造法案大綱」が財産制限以外はまさに現代の日本の状況のような気がする。あーあ、たとえがあまりに悪いが時間のかかりすぎたヘア解禁論争みたいなものなのだろうか?はたまた、ベンダサンの「日本人は政治的天才」という話を裏付ける事実なのか?
戒厳令の代わりがGHQなのが全く違うかな。クーも現実には不発だったわけだ。
以前米軍兵士と貧困家庭について書いたが、なんのことはない、70年前の日本の陸軍がまさにそういう状況だったのだな。
三月事件、十月事件以後のクーまたは未遂の集中とはemmergenceであったのか?
空気の研究とは、メタでなく具体論だったのか!