HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

対ソ戦

  • 歴史の痴的遊戯を愉しむ学者と評論家
    • 秦「陸軍の主敵はずっとソ連でしたからね。陸軍はあきらめずに翌年春には対ソ戦をやろうと考えていたんです。だから対米戦は陸軍にとっては行きがけの駄賃なんですよ。」(155〜56p)
    • 所長「独ソ戦勃発の際、田中新一作戦部長以下の対ソ開戦(北進)派と武藤章軍務局長以下の熟柿主義(南進)派に分裂したが、当時すでに前者は少数派であり、陸軍主流(統制派)と海軍が、陸軍の対ソ開戦計画を潰したのである。」
    • http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/20centurywar..htm
  • 永田軍務局長刺殺さる
  • 2001年6月「ドキュメント太平洋戦争への道」半藤一利著。PHP文庫
    • 対ソ戦を第一に考えていた参謀本部作戦部長石原完爾は、電話で不拡大の指示をしていた傍らで、部下達は進撃を支持する電話をかけまくっていた。部下を叱りつける石原に対し、部下の武藤章は「あなたが満州でやったことを手本としたままで、それがけしからんとは納得参りませんな」と答えたという。後に石原は関東軍参謀副長に左遷される。日本は、シナは一撃で屈服するという「シナ一撃論」で、日中戦争を始めたが、それは満州事変の最大の教訓でもあった。
    • http://homepage2.nifty.com/akibou/dokusyoko-na-.htm
  • −「日本の戦争」田原総一朗
    • 石原は対ソ戦が近いと考えており、そのための戦略拠点として満州を考えていたのでした。そして、満州国建国を目前にして本土へ戻り、2・26事件の際に当初から青年将校を反乱軍とする立場を貫いたことから、軍部内における発言力を高めたのでした。
    • http://www2u.biglobe.ne.jp/~tkawaka/tawara.htm