HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

道元禅入門 the art of Dogen's zen

本書の著者である田里亦無先生は、私の座禅の師の師にあたる方なので内容について「書評」するのはどうしてもはばかられる。じゃあ、書かなければいいじゃないかというと、どこかで一度は書かなければならないという感じがずっとしてきた。それには理由がある。

実はこのブログで私が書いてきた中には、私が禅で得られた感覚から書いてきた記事がいくつかある。禅というの今の私のようなものがうんぬんできるほど浅いものではない。乱暴な話だが、きちんとした感覚と確信に基づかずに単に書いただけの記事も沢山ある。いや、ほとんどそういう不純物な記事ばかりだ。ただいくつかの記事は、自分が座って感じたことを言葉にしようといういまだに成功していない試みの記録であるということは否めない。

そう、だから座禅そのものについて書く資格は私になくともやはりこのご縁についてはここで書いておくべきだと思う。

いまからだいぶ前にある会社の社長さんと商品のプロモーションの関係で出張にでかける機会があった。その時にこの社長さんにご紹介いただき、ご一緒させていただいたのが、Mさんという方だった*1。Mさんは私にとって非常に魅力的な方で、非常に話が合うところががあり、移動の途中でも出張の後でもいろいろ交流させていただいた。一度私の地元に遊びに来てくださった折に、Mさんが懐中からとりだして見せていただいたのがワープロで打ち直した道元の「現成公案」だった。その言葉の美しさに魅了された。なにか真実のものがそこにあるような感じがした。

座禅には以前から興味があったし、いつかは自分で座禅をしてみたいと思っていた。Mさんからいただいた現成公案がきっかけで座禅についての本を探し始め、類書が多くあるなかでたまたま本書にたどりついた。本書は、現成公案について平易に書いてある数少ない本なので、本屋で自然と手が伸びたという感じだった。Mさんが参加されているという禅の研究会に参加させていただく希望をMさんに伝えたのだが、なかなかタイミングがあわず参加する機会がなかった。ようやく2002年の秋に禅の研究会に参加させていただくことができた。参加してみて、参加者の方々がみな机の上に本書を広いげていたのにびっくりした。この時まで、この研究会がもともと田里先生が始められた研究会なのだと私は知らなかったのだ。

そして、今にいたる。

私はここで本書について書くのもはばかられるような状態なので、座禅そのものについてここで書かない。いつか時がいたれば、書くべきことは書くのだろう。座禅そのものについては書けなくとも、座禅を含めて私が日々生きていく中で感じたこと、腑に落ちたことについてはこれまで同様にどしどし書いていこうと思っている。

*1:ここでお名前をだしていいのかどうか本人に確認していないので、イニシャルだけにさせていただく。念のため、Mさんは私より少し年上の男性である。