HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

昨日はおやすみ

してしまった。

ダワーおもしろい。でも、ちょっと左系の観方をするのが気に入らない。戦後の様子をうまく記述しているのは評価できる。

モーロアについても書こうと思いながらなかなかはたせない。「行動からはじまる」は、最初禅を思い起こさせるような始まり方だったが、やはり西欧的な、官僚的な知見に終始していることを感じた。

吉田敦彦の夏目漱石夢十夜の分析も、神話の分析を思わせるような鮮やかさを感じる。

ああ、なにより宮沢賢治について何冊か読んだ結果をまとめなければと感じている。仏教的な知見、知恵を現代的な文学であらわそうとした試みが、かなり存在したことを知った。また、宮沢賢治の立脚点はパラサイトシングルというかこれまたかなり現代の若者の状況、心境に近いのではないかと感じている。

なによりも自分が生きていく上で、禅の修行とネットの活動を一致させることができるのか、自分なりの展開を示すべきなのか、悩んでいる。ネットの構造はきっと仏教的な知見を示しているのだろう。しかし、自分の心境、身体の体質の変化をここで書くことは、禅をすすめることになるのか?阻害することになるのか?自分とつながってくださる方とのご縁は、もう止められないことは事実だろう。人と人との信頼関係がなによりも大事なことに感じる。