HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

network centricとグループの舞台理論

人間の目の網膜以降のX細胞とかY細胞とかが協調して動きの検出やエッジの検出を行うというモデリングの話をマーがしていたと思います。今回のnetwork centricという考え方に近いのではないのか、と感じました。

本来生きている組織というものは、きっとITを使わなくとも「非公式なネットワーク」といったものを含めて、かなりnetwork centricな性質をすでにもっているように感じます。人事の理論で会社の活動を舞台演劇にたとえる考えがあります。会社という舞台で、一定のシナリオに従い(ビジネスモデル?)、監督、役者、舞台を作る大工、照明など、それぞれの役割に応じて、強調的に働き、ひとつの舞台を作る。演じられ、具体的に生き物のように動いているお芝居(パフォーマンス)には、実は中心的な制御などなく、アドリブを含めて全員で作り上げていくものだ、といった感じです。

舞台、会社というものは、実はダイナミックな関係性でできているといっても過言ではないかもしれません。

network centricの実際の理論を私は理解しておりませんが、ノードである社員や神経細胞や役者が、その役割を果たすこと自体が自分への報酬であると感じながら、強調的にシステムとしてタスクを達成する、という感じではなかろうかと感じます。

そして、仲間で議論しておぼろげに感じているのは、どのようなネットワークを対象にするか、ノードの複雑さに応じて、強調的に動けるネットワーク内(システム内?)のノードの適切な数というのがとても大事なのではないかということです。神経細胞なら数万単位、会社や軍隊の1単位なら5〜6人の小さな小隊とその集まりである70〜150人くらい単位、とかが適切ではないかと感じております。

この辺の性質を研究するには、たとえばmixiの中で自発的に形成されるコミュニティーや、もっと非公式の密な関係性を持つ集団の、メッセージのやりとりの数と構成人員の関係の相関などがとれれば、一定の結果が得られそうな気がします。