ネットの信頼性が問われている。
- 2chとイラク人質事件の関係???
- 文字による文化の復活
- まあ、いらなきゃよまなきゃいい、ちかづかなきゃいい...???
- 信頼できるサイトに人気が集中するか?そうでもないなぁ。
- ちかさんが語っていたサイトのエイプリルフール特集をそのまま記事にした中国の新聞
- ネットは、匿名性があれば、信頼性がなくてもいいの?
これから始めるのはやめよう。
以前、ブログの記事のひとつひとつこをひとつのことばととらえてマインドマップを作った。これは自分にとってかなりおもしろい試みだった。雑然と書いてきた自分のブログの方向性が見えてきた。これはKJ法の延長線上にある発想法だと確信した。とても今様の知的生産の方法だと実感した。しかし、「超勉強法」をかかれた野口ゆきおさんをはじめ、賢い人たちにはうけがわるい。これには理由があるのだが、今はふれない。
実はネット全体がそうなのではないか?ブログがリアルとつながるところ。ネットを通じた相互参照。言語学。示されるものと、示すもの。
そっか、だから辞書や百科事典みたいに最近のネットは進化してきたんだ!
ことばも自己参照的だ。そう、例の「あれ」ということばを辞書でひいたら「これ」が出てきて、「これ」を辞書でひいたら「あれ」がでてくるという永遠の循環のことばの体系によってことばはできている。ことばにあるのは、差異だけだ、とかかくとおまえは浅田シンパだなとやじられそうなので、これもこれ以上触れない。
しかし、ネットがリアルと接するところはどこだろうか?ぼくにはどうも出口が見えていない。もしかすると、だから「木村剛と裏取引」の巨大オフ会で自分の位置が全然みえなくなってしまったのかもしれない。あ、いやこれはいいわけだな。
イメージとしては、「イノセンス」の最後に出てきた二重螺旋のようなネットによるブログのつながり。