HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

人類の競争力または「人間=最悪の環境汚染源」

 やはり、「環境問題」を真剣に考えるのなら人間の数を減らすことを考えるべき時が来ている。どう考えても地球の資源を急速に使い果たしつつあるのは、増えすぎた人類であることに間違いはない。もし、現在の60億の人類が野放図にその種を増やして30年しか居住可能な環境を維持することしかできないのなら、これ以上人口を増やすのをやめて60年、1/6の10億に減らして180年とかの方が人類の種のためではないか?
 60億がいいのか、あるいは10億がいいのかという問題は当然価値判断を含む。この価値判断を決定するのは、人類の種としての目的は何なのかということに帰着する。人類の種としての目的はなにか?「最大多数の最大幸福」であるなら、人口×幸せの度合いの合計を最大化させることを追求すべきだ。また、「最大多数」とは誰を指すのかという問題も派生する。現存する人類一人一人のことを指すならこのまま突っ走るべきだ。もし万一人類すべてが最高の幸福の状態である「涅槃」の境地に達せしめることが目的であるなら、直ちにすべての生産活動と生殖活動をやめて座禅を組むべきであろう(その後1世代で絶滅したとしても)。進むべき道は、価値の根源をどこに置くかにより変わってくる。
 私は決してクリスチャンではないことを表明した上で、私はこの解答を聖書の創世記に求める。聖書の創世記で二つの命題が人類に与えられている。第一命題は「生めよ、増えよ、地に満ちよ。」でこれはとうの昔に達成してしまった。第二命題が、「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべてのすべての生き物を支配せよ。」である。「支配する」と言うことは、当然それらのすべてを「管理する」すると言うこだ。実は、創世記の昔から人類には地球の環境問題を解決すべき責務があるのではないか?エコロジーであることが人類の運命であるならな、責任をもってまずは自らの人口を「管理」すべきではないか?

 すでに人類の人口は60億を超え、カロリーベースで消費食料が生産を追い越すのはもうまもなくとも言われている。西洋人が肉を食うのをやめてももう食料が足りなくなる時代はもうすぐだ。そこで改めて問われるのは、資源と経済力の分配の問題である。それでもやはり共産主義的な分配方法がいいのか、自由主義経済がいいのか、血と血をかけて争われる時代がまたくるのではないか?

1999年作成

改訂 2003/12/31
修正 2009/11/08