HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

駅前と郊外の逆転

20年以上前、2年間米国に留学していた。学校の近くにアパートを借りて、中古車を買って、よくショッピングモールに買い物に行った。学校は街中の住宅街のちょっとはずれくらいにあった。どんどん街中の商店が寂れ、日本のダイエーと同じで街中にショッピングモールを展開していたシアーズだったかすらも閉店が続いていた。街の中心部から20キロ、30キロ離れたところでは、巨大ショッピングセンターの開業が相次いでいた。百貨店が四つ、その間をモールが四つ、正方形につないでいるなんてところもあったと記憶する。たしか、一辺が800mくらいあったんじゃなかったかな。もちろん、マイル表示だったけど。

その根底には、ショッピングセンターの不動産マーケティングの公式があった。ショッピングセンターの集客力は面積の自乗に比例するという公式だ。

ショッピングセンターの集客力

もともと古い古い町に住んでいたこともあり、米国のような巨大ショッピングセンターは日本にはなじまないだろうと思っていた。しかし、米国の巨大さとは比較にならないまでも、イオンのショッピングセンター攻勢が続くのを見、他方、駅前もしくは駅直結のマンションが建設されるのを見てこれからは、駅前と郊外が入れ替わることを直観した。日本の戦後のライフスタイルとは、駅前の商店街で買い物をして、郊外の戸建ての家に暮らすことだった。サザエさんの磯野・フグ田家のライフスタイルだ。ノリスケさんの波野家のようなアパート暮らしは戸建てに至る途中経過の生活形態にすぎなかった。それが、平成に入ってから大きく転換していった。駅前に暮らし、週末に大型ショッピングセンターに買い物に行くスタイルになると。

他方、駅前商店街の方々ですら商店街に住まずに、郊外の戸建てや、駅近くのマンションに暮らし始めたのをみて、逆転現象が起こるのが不回避なら、商店街を残すためにも駅近くの定住人口を増やす工夫をすべきだと考えた。詳細は私の仕事と深く関わるために書かないが、この20年間で伝統的な街並みを生かしながら、かつ、駅前定住人口を増やすプロジェクトには関わり続けてきたと言える。そして、今日その節目となるプロジェクトの完遂をみることになった。2月28日には以前から深く個人的な思い入れもある日だ。長期に亘るプロジェクトがこの日に節目を迎えることができたことを関係するすべての方と亡き父に感謝したい。

社員持株会

必要があって調べた。社員と会社の距離を縮めるためにはとても重要。逆にせっかくある制度が生きていないというのは、社員にまだまだ会社が信用されていない証拠。

「人」株式会社にも社員もいれば、株主もいる。特に、社員持株会が発達していているといえる。体内に抱える「手」だとか、「眼」は、「私」の指揮下にある「社員」であると同時に、「私」を裏から制御する「株主」でもある。直接間接の「私」と「身体」の間での、「報告」と「指令」といったやりとりにおいて、「社員」のいうことを聞かないとさまざまな病気だの、欝だのといった形でしっぺ返しを「私」社長はくらう。いやぁ、実感をもって断言できる。

現場を知っている社長はよい社長 - HPO機密日誌

もうずいぶん以前から問題意識は感じているが、これは難しい問題でもある。

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従業員持株会(持株制度)って何?

従業員持株会(従業員持株制度、社員持株制度)とは、企業が従業員に対して自社株を保有させる制度。持株会を会社が作り、その会員に従業員(社員)がなります。その上で、会員は毎月一定額を支払って株式を持株会として共同購入するという制度です。
持株会があっても参加は任意です。必ずしも持株会に入る必要はありません。

上場企業の場合は原則として時価で購入する形になりますが、会社側が福利厚生の一環として一定の補助を行うケースもあります。また、未上場企業であっても将来の上場をにらみ持株会制度を導入している会社もあります。

従業員持株会のメリット、デメリット | Money Lifehack

要は、持株会と株式公開への期待が表裏一体でなければならない。ここが難しい。会社の適正規模、上場することがその会社の使命と本当に合致しているのかよくよく考え抜いて決断しなければならない。それでも、持株会という形で社員に「私たちの会社」としての意識を持ってもらうことは大切。

ウォークラリー

コースからあまりにはずれた参加者に注意を喚起するというのが主な役割だが、初めてお手伝いさせてもらった。ウォークラリーはオリエンテーリングと違って、コマ図と呼ばれる断片的なコース図を使って歩いて行かなければならないので、なかなか参加者は大変。

コース図
ウォークラリーで使う地図をコース図という。普通の地図と違い、コース図は交差点や分岐点だけを表したコマ図を組み合わせたもの。「●」が現在位置、現在位置で向いている方向が上となり、「→」が進む方向を表している。このため、コース図における東西南北の向きは一定していない。また、コマ図間の距離は一定ではない。

ウォークラリー - Wikipedia

天気も良く、気持ちよかったのではないだろうか。ラリーの前、後にきちんと分析が行われて、参加者の間でのコミュニケーション、積極性、ルールの重要性などが確認できた。よいリーダーシップ開発になったように思う。

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運命の転換

先日、古市佳央さんの講演を聞いた。勇気を与えられる講演だった。全身の41%のやけどという重傷を負い、死を望むほどの絶望の縁に立たれた。何年もの間。まだ、高校生なのに。

昭和63年4月2日は僕にとって忘れられない一日となった。
4月3日には昨日までの自分は過去の自分になってしまった。
そう、バイク事故で全身大火傷を負い顔や手の形がまったく変わってしまったのだ。
全く悩みの無かった事故以前の自分が、一瞬のミスで事故に遭い、自殺を考えるほど悩み、泣いた・・・
誰か助けてほしい、僕の気持ちをわかってほしい・・・
そんな時同じ悩みをもった火傷患者と出会い、気持ちが変わっていった。
辛いのは自分だけじゃないんだ!それに気付いてからは少しずつ前向きになれた。
そして、多くの人に出逢い、仕事も出来るようになった。本気で笑えるようになっ た!
世の中には悩みから立ち直れない人がたくさんいることを知った今、
そんな人たちはどこの扉をノックすれば良いんだろうと思ったとき、
オープンハートの会があるよって言ってあげたい!

オープンハートの会 会長より一言

全身やけどというと思い出すのが、木村利人先生の生命倫理の著作を読んだ時に知った「プリーズ・レット・ミー・ダイ」という話し。

 1973年の7月、父親と2人で不動産会社を経営していたダックス・コワート (Dax Cowart) さんは、テキサス州ダラス郊外の土地調査のため車で家を出ました。目的地のすぐ近くで、どうしたことかエンジンの止まった車の始動スイッチを入れた瞬間に大爆発するという悲惨な事故にあいました。父親を失い、自らは大火傷を負い、体の主な機能がほとんど回復不能なことに病院で気づいた時、ダックスさんの発した言葉は 'Please let me die!' (お願いですから死なせてください) だったのです。

バイオエシックス 第2講. プリーズ・レット・ミー・ダイ

いのちを考える―バイオエシックスのすすめ

いのちを考える―バイオエシックスのすすめ

空軍出身でスポーツマン、経営者としても十分に経験を積んだこのダックスさんですら、「プリーズ・レット・ミー・ダイ」とやけどの治療中に叫んだと。この方の自己決定が尊重されるべきだとの信念は変わらず、この後、病院に対して訴訟まで起こしたと聞いた。まして、高校生だった古市さんが絶望の底の底に落ち込むのも無理はない。それでも、病院での経験、家族への思いから、自分が生きていること、そのことだけで人を不幸にしていない、幸せにしているんだとの気づきから、運命の大転換をされた。いや、ご本人は謙虚にたんたんと語られていて、「運命の大転換」なんていう大それた言葉は使っていらっしゃらなかった。

古市さんは、「準備を十分にした、大決断の末の行動というよりも、ほんのちょっとした思いつき、小さな行動の積み重ねによって人の生き方は変わる」とおっしゃっていた。50年生きてきて、私もこころからそう思っている。人生を左右すると思ってした苦渋の決断よりも、日々をどう生きるか、人とのかかわりに常に誠意をもって接するかとか、小さなことがいまの自分の人生につながっているように思う。

古市さんの勇気あるお話しを聞けて、勇気をもらえた。

実は、講演の最初に「自分が世界で最高に幸せだと思う人、手を上げてください」とおっしゃった。その質問に、たかだかと手を上げた私のお仲間がいた。後で聞いたら、この方は余命数ヶ月という宣告を受けているのだという。人は得てして、自分がいつか死ぬと分かっていても、その「いつ」がいつくるかわからないので一日いちにちの大切さが分からない。古市さんにとっても、このお仲間にとっても、今日の一日が本当に「宝物」なのだと。人生の後半生に入っている私は見習わなければならない生き方だ。

記憶とはインシデントの密度

リアルな私のプロジェクトの納期が迫る中、多忙を極めている。いや、多忙を極めていた。それでも、どうしても今日は前々からの約束で今日の午後から日曜日まで続くイベントのお手伝いに出てこざるを得なかった。しかーし!なにもやることがない。ほんのちょっとのお手伝いと、かなり長い時間のだべりんぐ・・・。会社に戻れば、私にしかできない仕事が山積みになっているのに。

そんな中、昔から考えている課題についてふと考えた。なぜだらだら流れる時間と、集中してあっという間に経過してしまう時間があるのかと。ふと、「記憶とはインシデントの密度」なのだと浮かんだ。

時間とは記憶の中にしかない。いまの私には「いま」しかない。記憶という後ろをふりかえることによってのみ、時間という流れを自覚できる。「私」という意識は、意図的にその存在を記憶の中で意識しないと、時間を意識できない。記憶を再構成してみて、やたら時間がながく感じるのは実はこうした「意図的に意識する記憶」、「意識する時間の数が多いからではないか?逆に言えば、意識という「間」ばかりでリアルと感じられる出来事の密度が低い時間ではないか?逆に、集中し、緊迫した時間はあっという間に過ぎてしまう。

結局、時間の長さとは、記憶の中の意識された出来事(incident)の密度にすぎない。出来事の密度が低い記憶の中の時間においては、時間を確認する意識の方が先にたってしまう。結果、やたら時間が長い。逆に、集中した時はその長さの実感が記憶に残らない、問題にすらならない。これは、自分の身体ができごとで満たされているから、反芻するような無駄な「意識」はそこにはない。

逆に言えば、最高に集中し、意識がない時間は永遠なのだとも言える。そして、そんな集中しきった永遠の時間、一回きりの事柄が歴史を作っている。

女の脚

どうしてわがままそうな女の脚は魅力的に見えるのだろう?素直そうな女の脚は普通の脚にしか見えないのに。

いや、もしかすると逆かもしれない。足首からふくらはぎ、ひざ裏からももにかけて切れ上がる曲線の持ち主は、自分の脚が魅力的だと自覚しているに違いない。自分の魅力を自覚しているので、男に対して大胆に、わがままになってしまうのかもしれない。私の性癖のせいか、街中ですら女性の脚がとても気になる。

エンディングの「Rain」の歌詞がよい。

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実は私は少し靴フェチの気がある。「あの」シーンにはぐっと来てしまった。

「言の葉の庭」 - HPO機密日誌

男と女の間のエロさ、上品に言えば色気が必要だ。惹かれつつ反発し合い、反発し合い惹かれ合う。尊敬と愛の微妙なバランスを保ち続けられるかは、年齢がいくつになっても、春が来ても、夏が来ても、秋にも、冬にも、常に最大の努力が必要。

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大学の頃の実習で、アンケートの構成と統計の基本の実習があった。20ケースにもみたない調査紙だったが、男女それぞれの異性、同性のどこに注意をして、どこに魅力を感じるか調べて見たことがある。かなり有意に違いが出たのが、女性が同性を見るケースだった。足首、手首など、普通の男性が女性を見るポイントとは大きく違っていた。この年になると、ああ、確かにそういうところにこそ女の色気、年齢に変わりなく男が女を見る目が引きつけられるのだと妙に納得している。

ゴジラと福島

あまり3.11が近づく前に書いてしまおう。後付けの理屈かもしれないが、ゴジラは実に日本を象徴する映画キャラクターだ。先日雲仙に言って噴火の展示を見た。

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当時のエントリーにはあまりに生々しかったので書かなかったが、雲仙岳災害記念館で体験した溶岩ドーム、火砕流の様子がまさにゴジラそのものに見えた。

雲仙普賢岳溶岩ドーム

http://www.udmh.or.jp/web4/_src/pdf/7-12.pdf

www.udmh.or.jp

ゴジラが原爆実験によって誕生した、もしくは放射能のビームを吐くというのも、以前は広島、現在では福島第一原発の恐ろしさを象徴している。多くの方が指摘されているように、「シン・ゴジラ」という作品は東日本大震災があり、福島第一原発に対して政府がこういう風に対応してくれていたらという願望の物語でもある。

二時間の映画を再び見て、850円のパンフレットまで買って、やはり庵野さんはもう一度人々とこの国を信じたいという希望を込めてこの映画を撮ったのだと暫定的に結論づけている。結局、庵野監督はマキ教授その人であると。冒頭のあのタイミングでマキ教授が姿を消し、そのボートの直下から事態がはじまったことは偶然ではありえない。マキ教授こそが意図を込めて日本にゴジラを贈ったのだ。誤字たっぷりの本ブログだが、これは誤字ではない、「贈った」のだ。いわば、庵野監督が「シン・エヴァ」に至る絶望に満ちた「エヴァンゲリオン」を贈ったように、マキ教授は日本という国と人々に「この私の絶望についてこれるものななら、お前らついてこい」とゴジラを贈ったのだ。そこから、絶望の中の絶望の物語をつむぐこともできた庵野監督が日本の未来に対して希望を見いだそうと意図的に「現実」を構築したのが「シン・ゴジラ」なのだと。

石原さとみは英語が下手なんじゃない、日本語が上手すぎるのだ(ネタバレあり) - HPO機密日誌

また、ゴジラは空襲、本土決戦という恐怖が残っている中で生まれたことも忘れてはならない。南太平洋の島々から恐怖が本土を、帝都を目指して上陸してくるという恐怖。ゴジラは本来陸生の形態であるのに常に海から上陸する。

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なにを言いたいわけでもない、なんの落ちがあるわけでもない。ただ、この「ゴジラと福島」というタイトルのエントリーの下書きは「2015/8/9 23:29:03」というタイムスタンプのまま書けずにいた。2017/2/23の今、落ち着いて書ける。この間にあったシン・ゴジラとすずさんの二つの作品の持つ浄化作用に感謝したい。