HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

空港は屋根、工場は床

建築をやっていると、屋根の架構がとても気になる。特に空港のような巨大な屋根をどう支えるか、どう見せるか、どう仕上げるかは建築デザイン、建築技術の総合力が問われる。空港というのは外国との玄関口。場合によっては国の威信に関わるところ。

この意味で、羽田空港国際線ターミナルは国の威信を高めるのに成功していると想える。今様な美しい屋根の形状。大スパンを飛ばす構造技術と、明るすぎず、暗すぎない灯り取りが考えられたデザインが見事に融合している。羽田国際線運営会社のシンボルマークにもこの大屋根が使われている。構造的には橋の架構に近い。

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対照的に、先日のフランクフルト空港は、ドイツ人の合理精神が実によく現れていた。1970年代という古さもあるが、ここまでやるかという感じ。

このターミナル1の天井がまた相当なコストダウン。縦のルーバーのような天井で、一部見上げるとむき出し。

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増殖するフランクフルト空港 - HPO機密日誌

昨日は、チェコプラハ空港とポーランドワルシャワ空港を利用した。プラハ空港は美しい曲線を描くトラス構造の大屋根。実に現代的。

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ショパンワルシャワ空港は、到着階からしか撮れなかったのでわかりづらい写真だが、サンティアゴ・カラトラバを想わせる、樹木のように、人の身体のように上に向かって開いていく柱が特徴的なようだった。かなり新しい空港。

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わかりにくくするだけかもしれないが、六本木のミッドタウンの広場の架構に近いと言える。


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都市徘徊blog

せっかくヨーロッパをめぐっているので、中世の屋根についても。いうまでもなく、石造りの基本はアーチ。台形の石を曲線で積み上げ、圧縮力だけで架構する。アーチの頭頂部のキーストンと呼ばれる部材が一番技術を必要とされる。中世では長らく石工達の秘密とされてきた。

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建築史の専門家には怒られてしまうかもしれないが、このアーチの技術が中世ヨーロッパの大規模な教会建築の屋根の架構につながっている。ちなみに、これはゴチック建築としては最大規模だと言われるアビニョン教皇庁の礼拝堂。

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ちなみに、同じ大架構の建築物でも逆に工場は床をどうするかでだいたい決まる。これは昨日見学したチェコのビール工場。古い工場なので、鉄筋コンクリートで一部の床はなんと石張り。

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あまりまとまらないが、時間があればまたもう少し解説したい。

プラハのナイトライフ

クンデラの「存在の絶えられない軽さ」、開高健の「夏の闇」、木住野佳子の「スケッチ・オブ・プラハ」など、いささか思い入れをもってプラハに来た。中世の街並みがそのまま保存されている素晴らしい街だった。

全編を通してクンデラは自分の地域=祖国をいかに捨てられないかを書いているとも言える。サビナのように「裏切る」ことにより祖国を確認し続けることでも、トマーシュのように一旦は祖国を離れても愛のためにまたも戻るのであれ、祖国である「ボヘミア」(チェコスロヴェニア)が人生の軸になっている。また、そうした自分の生き方の根源は国とセックスを通してしか確認しえないというのも、ひとつのテーゼだ。

チャンスは一度 : 「存在の耐えられない軽さ」 - HPO機密日誌

 『夏の闇』は不思議な物語である。異国の街に滞在する日本人中年男女の濃密な食欲と性欲と倦怠の描写が繰り返し繰り返し、延々と続く。ストーリーがないわけではない。ヴェトナム戦争を経験した男が、1970年代初頭のパリと思われる街で10年ぶりに「女」に再会する。物語では女はただ「女」と記され、名前は与えられない。「私」である「男」より2歳ほど年下であり、40歳に手が届こうとしているが女体にはまだハリがある。ドイツの大学に出す博士号論文が完成して製本までの休暇を使って男に会っている。男はパリの安宿で10年前の彼女を思い出す。

『ずばり東京』から削り落とされた開高健の絶望 後編|新しい「古典」を読む|finalvent|cakes(ケイクス)

スケッチ・オブ・プラハ

スケッチ・オブ・プラハ

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そういえば、日本の古典文学を専攻されたというガイドさんから、村上春樹の小説が毎年一冊ずつ翻訳されていて、大変話題だとおっしゃっていた。

しかし、夜ホテルを出て迎えられたのはマリリン・モンロー

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ここからナイトライフが止まらなくなった。プラハは楽しい街だ。


善良な兵士シュバイク

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取り消された世界遺産

ドレスデンの話題は尽きない。プラハへの移動の途中、世界文化遺産登録抹消の原因となった橋を見学した。

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エルベ渓谷のあるドレスデンザクセン州の州都で、市内を貫く渓谷はエルベ川流域に18km続いている。ザクセン選帝侯国の首都であった時代は「ドイツのフィレンツェ」と呼ばれたほど美しい都市であり、18~19世紀の建造物などが今も残っている。19世紀末の鉄橋、ケーブルカー、蒸気観光船、造船所などは今も使用されており、教会や公園も時代を偲ばせる。都市に溶け込んだ渓谷などの自然、産業革命以降の産業遺産、建造物などの価値が評価され、2004年に世界遺産(文化遺産)に登録された。

しかし、エルベ渓谷にかかる橋の建設が計画され、実行されると景観が損なわれると判断したユネスコ世界遺産委員会は、2006年に危機遺産リストに登録した。そして、橋の建設が始まったため、2009年に世界遺産リストから削除された。

世界遺産抹消の原因、ドイツ・エルベ渓谷の「景観損ねる橋」開通

実際には相当に市民と州政府、ドレスデン市との間で議論があったらしい。

ドレスデンエルベ渓谷は2004年に世界遺産リストに登録されたが、渓谷には以前よりドレスデン市街の渋滞緩和を目的とした架橋計画(全長635m、4車線のヴァルトシュレスヒェン橋(英語版))が存在しており、すでに10年にわたる議論が続いていた[4]。この橋の建設計画はドイツ政府が提出した登録申請書にも明記されていた[5]。


橋の建設計画は2004年2月にようやく確定したが、6月(世界遺産登録の前月)に行われた市議会選挙の結果、議会の勢力が変化し(de)、建設反対派が議会の多数を占める情勢になった。この結果、橋の建設を求める住民グループが住民投票を求める活動を開始し、2005年2月に、橋の建設の是非を問う住民投票が実施された。住民投票の結果、建設賛成票が67.9%に達したため、計画が実行に移されることとなった。

ドレスデン・エルベ渓谷 - Wikipedia

その場に立ってみて、改めてドレスデン、エルベ河流域の風情にマッチしていると感じた。決して景観をこわしてはいない。どうもユネスコ側の政治的な意思を感じる。「登録、抹消は私達の権限なんだから逆らうんじゃない!」との。そもそも、登録抹消は09年、橋の完成は12年。完成を待って、実態を見てからでも遅くはなかった。

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この後、バスタイの奇岩を見学した。

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ここは昔の要塞であったらしい。もっとも、「戦争を余りしなかったことで栄えた」と言われるザクセン侯、ヴェッテン家なので、ほとんど使われなかったらしい。

バスタイの東側はもうチェコ

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プラハにはいささか思い入れがある。楽しみだ。

ドレスデンの再建

マイセンの工房を見学させていただいたり、ドレスデンの宝物、絵画を鑑賞したり、充実した時間を過ごしている。その中で、ドレスデンの再建について触れておきたい。

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上は昨日私が撮ったドレスデン旧市街の写真。下はドレスデンの画家がカメラオブスキュラという手法を使って300年前に描いた油彩画。まったくそのまま。300年間街並みが保存されていたと想うのが普通。

ドレスデン爆撃(ドレスデンばくげき、英: Bombing of Dresden)は、第二次世界大戦末期の1945年2月13日から15日にかけて連合国軍(イギリス空軍およびアメリカ空軍)によって行われたドイツ東部の都市、ドレスデンへの無差別爆撃。4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、2万5000人とも15万人とも言われる一般市民が死亡した。

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ドレスデン爆撃 - Wikipedia

その後、東西に分割され、東ドイツに組み入れられ、ソ連の支配下に置かれたドレスデンは、ほとんど復興が進まなかった。ベルリンの壁が崩壊して、東西ドイツが統一された後、西側の人々の資金の提供により復興がすすんだ。つまり、上の写真に映っている建物は古い建物に見えますが、実際はせいぜい50年くらい。宮殿などはほんのこの十数年で再度公開できるまで復興されたと聞いた。人々の努力で、こうして300年前と変わらぬ街並みが復興し、いまもたくさんの観光の方々がドレスデンを訪れている。

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エルベ河沿いのゲーテが「ヨーロッパのバルコニー」と呼んだテラス。

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オペラハウス

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ザクセン王国を600年に渡り支配したヴェッティン家の歴代の王を描いた壁。これは戦災を免れ、オリジナルのまま。

男系で、822年に受爵したリクベルト伯爵までさかのぼれる古い家系で、現存する欧州貴族の家系ではロベール=カペー諸家に次いで古い家系とされ、ヨーロッパでも1,2を争うほど歴史のある名門でもある。

ヴェッティン家 - Wikipedia

第一次世界大戦中の1918年11月3日、キール軍港の反乱をきっかけにドイツ革命が勃発し、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位を余儀なくされた。ドイツ帝国は崩壊してヴァイマル共和政が成立し、最後のザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世もまた、1918年11月13日に退位に追い込まれた。

ザクセン王国 - Wikipedia

聞いた話では、ヴェッティン家はその後スイスに亡命し、いまも存続しているらしい。千年続く家はどうしたら作れるのか?興味深い限り。ドレスデンの歴史とは切っても切り離せない。

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増殖するフランクフルト空港

以前から同じ内陸空港ということで成田空港との比較で話しがでることが多いフランクフルト空港で乗り継ぎで半日を過ごした。どうも、増殖しているターミナルという感じでコンセプトが伝わらない空港だった。いくつか写真を紹介。ほとんどがガラス越しの写真なので映り込みがある。お恥ずかしい限りだ。

まず、日本航空でターミナル2についた。

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素人目にも離発着が多くさすが欧州のハブ空港という感じだった。

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建物は全体にコストダウンをかなり意識している細もののトラス構造だった。時代の要請だろうか?テロ対策かピストルを常時身につけた警官が常時パトロールしていた。

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ターミナル2は1994年10月24日にオープンした新しいターミナルである。D,Eの二つのコンコースがある。日本航空はコンコースDを使用している。

フランクフルト空港 - Wikipedia

モノレールでターミナル1へ。

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このターミナル1の天井がまた相当なコストダウン。縦のルーバーのような天井で、一部見上げるとむき出し。

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かなりわかりずらいが、ボーディングブリッジの飛び出した部分は鉄筋コンクリートの躯体をガラスで包み込み、空調をかけるダブルスキンになっている。70年代に建設された時からこうなっていたのか?殆どの開口部には空調が組み込まれていて、冷気あるいは暖気のドラフトが起こりづらくしている。さすが、断熱先進国ドイツ!

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A380のダブルデッカーに多くのボーディングブリッジが対応しているらしい。ちょっと感激。

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ハブ空港はこうでななくっちゃね。かなり長い時間の乗り継ぎが需要があるはずなのにショッピングモールも地味だし、バタフライガーデンや、市内観光の案内などもない。古いタイプの空港が増殖に増殖を重ねた感じ。それでも、年間六千万人が利用する大空港。成田空港の三倍だ。日本は相当に施設を更新しないと列強各国に追いつけない。

秒速5センチメートル、ふたたび

例によって何度も何度も見ている映画のはずなのに新鮮に見れた。この記憶力のなさのおかげで、同じコンテンツで何度も感激できる。まあ、お得だと想っておこう。

hpo.hatenablog.com

10回目位のはずなのに、「One more time, One more chance」がかかったときに涙した。


秒速5センチメートル 特典 「One more time, One more chance」 山崎まさよし

今回は第二話、「コスモナウト」にぐっときた。

なぜこんなにも男と女はすれ違ってしまうのだろう?こんなにも愛おしく思い続けているのに。

星空の下のバーベキュー

恒例の「月見」会があった。一昨年まで、会がもりあがるとショットグラスを手にテキーラを勧めてくださった方がもういらっしゃらない。寂しい限り。でも、息子さんご夫妻が今回は参加してくださってとても盛り上がっていた。

残念ながら、月見のはずなのに月は見れなかった。夜空はきれいだった。