マイセンの工房を見学させていただいたり、ドレスデンの宝物、絵画を鑑賞したり、充実した時間を過ごしている。その中で、ドレスデンの再建について触れておきたい。
上は昨日私が撮ったドレスデン旧市街の写真。下はドレスデンの画家がカメラオブスキュラという手法を使って300年前に描いた油彩画。まったくそのまま。300年間街並みが保存されていたと想うのが普通。
ドレスデン爆撃(ドレスデンばくげき、英: Bombing of Dresden)は、第二次世界大戦末期の1945年2月13日から15日にかけて連合国軍(イギリス空軍およびアメリカ空軍)によって行われたドイツ東部の都市、ドレスデンへの無差別爆撃。4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、2万5000人とも15万人とも言われる一般市民が死亡した。
ドレスデン爆撃 - Wikipedia
その後、東西に分割され、東ドイツに組み入れられ、ソ連の支配下に置かれたドレスデンは、ほとんど復興が進まなかった。ベルリンの壁が崩壊して、東西ドイツが統一された後、西側の人々の資金の提供により復興がすすんだ。つまり、上の写真に映っている建物は古い建物に見えますが、実際はせいぜい50年くらい。宮殿などはほんのこの十数年で再度公開できるまで復興されたと聞いた。人々の努力で、こうして300年前と変わらぬ街並みが復興し、いまもたくさんの観光の方々がドレスデンを訪れている。
エルベ河沿いのゲーテが「ヨーロッパのバルコニー」と呼んだテラス。
ザクセン王国を600年に渡り支配したヴェッティン家の歴代の王を描いた壁。これは戦災を免れ、オリジナルのまま。
男系で、822年に受爵したリクベルト伯爵までさかのぼれる古い家系で、現存する欧州貴族の家系ではロベール=カペー諸家に次いで古い家系とされ、ヨーロッパでも1,2を争うほど歴史のある名門でもある。
ヴェッティン家 - Wikipedia
第一次世界大戦中の1918年11月3日、キール軍港の反乱をきっかけにドイツ革命が勃発し、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位を余儀なくされた。ドイツ帝国は崩壊してヴァイマル共和政が成立し、最後のザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世もまた、1918年11月13日に退位に追い込まれた。
ザクセン王国 - Wikipedia
聞いた話では、ヴェッティン家はその後スイスに亡命し、いまも存続しているらしい。千年続く家はどうしたら作れるのか?興味深い限り。ドレスデンの歴史とは切っても切り離せない。