HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「生きがいについて」読了

今、何か書いておかないと、自分の中で句読点を打てないまま過ぎ去ってしまいそうなので、書けるところまで書く。

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

id:finalventさんのCakesの記事を読んだのに影響されているだけだが、三回目か、四回目かの読書体験の今回、本書のそこかしこから若き女性の悲嘆にくれた嘆きが聞こえてくるようだった。たまたま、Twitterで「#生きがいについて」タグでつぶやいて下さった方がいらした。その方にも若き日の神谷美恵子さんの絶望の声が聞こえたのだろう。

最後の九章「精神的な生きがい」、十章「心の世界の変革」の二つの章で記述されている「体験」が自分にも見えるものを感じた。本書をどう行動するかという課題としては、私にとっては「自分を中心から外す」ことに尽きるのだが、浅い人間の私なりにある体験がある。その体験につながる。前にココログで書いた。

高校の頃、学校に額がかけてあった。

麗澤とは太陽天に懸かりて万物を恵み潤すの義や

創立者の書かれた「易経」からの引用だということだった。三年間毎日読んではいた。意味もわからず、ただ目には入っていた。高校時代、別に特に悩んでいたわけでもなく、人生に絶望していたわけでもない。かと言って、最高にハイな高校生活でもなかった。たんたんと高校生活が過ぎて行っていた。そんなある日、いつものようにこの額を見て、突然太陽の恵みによって、文字通り麗しい澤のようなところで生かされていると直感した。額の言葉通り、太陽が空にさんさんと輝いて、日の光の恵みのもと、澤に流れる川のほとりでアメンボや、つぐみや、リスなどが、調和して生きている、生かされている情景を「体験」した。

いま調べると、易経の本来の意味はまさに学校に掲げるのにふさわしい意味だ。学生同士が合い集い、合い励ましあい学べと、そういう意味なのだろう。

れいたく 【麗沢】
〔「易経(兌卦)」による。「麗」は連なる意〕連なった二つの沼沢が互いにうるおし合うように、友人が互いに助け合いながら学ぶこと。

麗澤の意味 易経に由来する故事成語 - Weblio辞書

今更ながら勘違いも甚だしい。その時はその額の言葉がそのまま入ってきた。それで十分だった。全寮制で、親から離れて暮らしていたので親の慈恩の自覚とも重なったのだろう。以来、三十年たった今も、あの時見えた太陽の輝き、虫や鳥や魚や獣が川のほとりで調和を持って生きる「体験」と、生かされているという実感は消えることがない。

一方、神谷美恵子さんの絶望のぎらぎらした黒い光もまたなんとはなしにわかる経験があったような気もする。しかし、もう忘れてしまった。時間が経つと悪い思い出も、絶望も忘れてしまう。物忘れがひどいのもわたしのレベルになる天の恵みだなと。