「日本という方法 おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)」を読んでも、読んでも、読んでもおもしろくないのでがっかりしていた。私は、松岡さんの語る日本文化の数々を大好きで、はてなのグループをつくったほどだった*1。
が、本書も後半の「本来」と「将来」に入り、おもしろさが一気に加速している。いろいろ考えることがあるが、今日はひとつだけ。
いま現在の日本の姿の「本来」を考えるのに江戸文化から始めるというのはそのとおりだろう。現在の行政の在り方などほとんど江戸時代そのままだと私も感じる。ただ、江戸時代の株仲間と現在の株式会社を比べるのは少し違うと思う。
私は今日の株式会社がまるで避けるように年に一度の株主総会に汲々としている理由がよくわかりません。
株仲間は株式会社へつながったのではなく、業界団体や企業集団の内部の利権調整組織へと進化(?)したように私には思える。彼らはよると触ると食事会をしたり、会合を行ったりして、非常に親密な関係をいまだに築いている。
現在の行政の一部は確実に、昔の株仲間の進化形である業界団体の存在を前提にしている。経済活動を統制する法体系も同様だ。バブル経済期をふくむバブル以前の時代までは、江戸期と同様に行政と民間とのはざまの微妙な部分を業界団体にゆだねて、官民をあげての「競争の戦略」の政策立案実行は非常にうまくいっていた。
この辺のニュアンスを理解できない新しい世代が出てきて、多大なKY活動をおこしてしまうというのは、江戸時代も同様らしい。
ところが、天保の改革はこうした株仲間の可能性に水をさした。株仲間のしくみに文句をつけた。(中略)天保十二年、株仲間禁止令が施行されてしまったのです。規制緩和が断行されたのです。(中略)幕府はこれに耳を貸さず、事態を悪化させてしまいます。規制緩和や民間主義は正しいと思い込みすぎていたのです。結局、これらの提言が採用されたのは株仲間禁止令から十年もたった嘉永四年のこと、それが問屋再興令というものです。けれでも経済政策が十年もまちがっていたらどうなるか。この十年のあいだに徳川経済は混乱し、こういうときにかぎってちょうど重なってきた黒船騒ぎの外圧によって、社会全体が幕末に向かって軋んでいくことになってしまいます。
現代においては、当初は米国からの圧力にまけてふしょうぶしょう、途中からは一部の方々がすっかりその気になってしまいのりのりでおこなわれた米国資本主義的な過度な市場の統制と、規制緩和という名を借りた放任主義*2が横行している。その結果としての現在の「失われた十年」*3とは、江戸末期と現在の平行性を示唆しているのかもしれない。
「寄り合い主義」というと、とても前近代的で封建的だとおもわれがちだが、「寄り合い」でものごとをすすめるにはとても大人な感覚と仲間意識が必要だ。業界としてなにを問題とし、どのような調整を行い、強制力を持つかは、法律でないだけに非常に微妙なバランス感覚が必要だ。場合によっては、閨閥的なつながりをも必要としたに違いない。某所でのコメントの続きも兼ねて個人的な経験を開陳することを許しほしい。
当時、大学4年生だった私は卒論にかまけて就職活動をほとんど行っていなかった。もう夏休み近くなってからあわててつてをたどたり、まじめに活動し始めた。バブルの頃とはいえ、さすがに希望する分野での就職は難航した。それでも、たまたま部活の先輩のつてである企業の社長面接までいけたた。社長面接では、囲碁と将棋の話が出るくらい盛り上がり、かなり手ごたえを感じた。それでも、最後の質問をうまく乗り切ることができず、内定はもらえなかった。結局、まったく別の企業にひろっていただいた*4。あとから気づいたのだが、当時私と交際していたガールフレンドの家族は、内定をもらえなかった社長面接までいった企業が属するグループに属していた。「属していた」というのも変な話だが、ご親族の多くがある大学の出身で、また多くがその企業グループで中核的な仕事をされていた。考えてみれば、社長面接で私の親族を裏切ることになったかもしれない最後の質問をそつなくこなし、彼女と交際し続けてれば、私もそのグループで文字通り一生禄を食んでいたかもしれない。
うまくいえないのだが、そのような江戸時代とほとんど同型の「方法」により経済運営がされたきたがの戦後ではないだろうか?
松岡正剛さんは、このあとの章で日本の法律体系がいかに理念優先ではなく、慣習優先、現場優先で運営されてきたかについても触れている。その根っこにあるのは、日本が間違いなく調整型で、大人のバランス感覚を持つ寄り合い社会であったからではないだろうか?
しばらく「日本という方法」について考えてみたい。
■参照
なるほど。
いま、この国でおきていることには、日本人がもってきた「習性」というものが、やはり深くかかわってきている。たとえば今日問題になっている「官僚国家の日本」というのも、批判するのはたやすいが、その背景には、たいへんな官僚国家のもとをつくってしまった江戸時代の日本というものが、しっかりと、よこたわっている。
ももち ど ぶろぐ|殿様の通信簿―官僚制とバカ殿の国―
ももちさんが松岡正剛を読んだら、どのような感想を持たれるのであろうか?
*1:ま、見ていただければわかるが、私の記事はひとつだけ...orz。しかし、お仲間にはめぐまれid:it1127さんとid:rokazさんががんばってくださっている。
*2:うーん、もっとよい言葉がみつからない。第三者にまかせてしまって、自分で対してその内容について理解していない、責任をとらないみたいのなんていうんだっけ?丸投げ主義???
*3:「失われた二十年」確定?ガチ?
*4:夏休み前にその企業の人事にお電話して「もうおわっちゃいましたよね?」「そうですねぇ」という会話をした。秋口になってその担当の型から電話をいただいて、「欠員でたから面接受けに来る?」とひろっていただいた。あとで一緒に働かせていただくことになるのだが、いまでもその方には感謝している。