荒れ果てた廃墟というよりは、明治、大正、昭和の日本の発展の息吹を感じてきた。
端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していたが、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。
端島 (長崎県) - Wikipedia
ツアーのガイドを務めてくださったこの方は、軍艦島育ちで、軍艦島で働いていらしたそうだ。たんたんとした語り口に、想いを感じ、石炭を掘っていた最盛期の姿が蘇ってくる感じがした。
当時の方の話しによると、10月の軍艦島は台風が次々と来て、波の荒い日々が続いたそうだ。大変な快晴とべた凪に恵まれて、幸運であった。
これは大正5年にできた日本最初の高層アパートだったと。7階建ての鉄筋コンクリート建築物は100年以上維持可能だという証左だ。コンクリート業界の方は品質管理の参考になるのではないだろうか?
コンクリートも、当時はレディーミックスドコンクリート、いわゆるプラント発送のレミコンではなく現場練りであったはず。品質は概ねいいように見えた。三菱の意地があったのだろ。
それにしても、長崎市内の世界遺産登録リストを見ると、実に「三菱!」と叫びたくなる。
ある意味、今回の世界遺産登録は、三菱がグラバー氏から商売を学び、造船をし、炭鉱を掘り、世界に誇る航空機を作るまで技術革新と産業振興をしてきた軌跡を世界が認めたということではないだろうか?以前、NCAの助っ人外国人パイロットの方々が「Mitsubishi!」と胸を張っていたのに出くわしたことがある。世界から見ると、日本の三菱というのは相当な位置を占めるのではないだろうか?