歴史に大変詳しい方と会食した。この方からヨーロッパの歴史の話しを聞いて、ハムレットのラストシーンの謎が解けた。1564年(ひとごろし)に生まれ、1616年(いろいろ)に死んだシャークスピアの本領発揮というべきハムレットは、ラストまでに全登場人物は死んでしまう。そして、唐突に現れたノルウェーの王子、フォーティンブラスがデンマークの王位継承権を主張して終わる。
なぜノルウェー王子なのか?そもそもイギリス人であるシェークスピアないし、シェークスピアの名前を使った劇作家はデンマークの話しを上演したのか?話しは、10世紀のフランスにさかのぼる。当時のフランス王は、ノルウェーなどの北からのバイキングの度重なる侵入に悩まされていた。度重なる侵入に、もうこれで勘弁してくれと現在のルノマンディー地方を割譲。割譲されたノルマン人の王は、ノルマンディー公となりフランス王に仕える立場となったのだと。ノルマンディーとは、ノルマン=ノースマン=北の部族の意だと。
ノルマンディー公国(ノルマンディーこうこく、フランス語: Duché de Normandie)は、デンマーク人、ノルウェー人、ノルマン・ゲール人、オークニーヴァイキングおよび デーンロウから来たアングロ・デーン人といった様々な民族が9世紀のフランスに侵入したことに起源を持つ公国である。
ノルマンディー公国 - Wikipedia
そして、このノルマンディー公の末裔であるウィリアム征服王がノルマンコンクエストを行い、イギリス王になった。従って、デンマーク、ノルウェーはシェークスピアの16世紀になってもイギリス王朝にとって親戚となる。ひとごとではないというのがまず背景。
ハムレットのデンマークがいつの時代かは不明だが、北欧の民族の往来がノルマンディーを含めて多くあった時代であったのだろう。確かに、デンマークを地図で見るとノルウェーとは海を挟んで対面している。確かに王位継承権を主張したくなる距離だ。
ということで、イングランドからは遠く離れたデンマークであっても、ノルマンディー公国をはさんでまたいとこくらいの関係であったことは、イギリス人貴族であれば常識であったろうし、庶民のレベルでも多少は知られていたのだと。
プランタジネット朝 - Wikipedia
ということで、ますます革職人の息子、ウィリアム・シェークスピアにこれだけの歴史的知識、理解がありえたのかということになる。
フォーティンブラスが何者であったかは、こちらのブログに書かれている。すごい!