感激を新たにした。道元禅師がお寺を開かれた日本に生まれ育って、日本語が話せてよかったと。

和辻哲郎全集〈第4巻〉日本精神史研究,続日本精神史研究 (1962年)
- 作者: 和辻哲郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1962
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本書は、和辻哲郎の「日本精神史」、「続日本精神史」の二部で構成される。それぞれが、何編かの日本の精神文化についての論文から構成されている。長谷川三千子さんの「神敗れたまわず」の主題を形成するとても大切な本なので、何編かだけでも読もうと「積読」していた。
本書で最初に目に入ったのは「沙門道元」という一遍。和辻哲郎は美学的なセンス、哲学的なセンスから「日本精神」を切り取ったのだと思っていたので、日本仏教の流れの中で道元だけを取り上げているのに驚いた。
今日は時間が取れたので、この「沙門道元」を読んだ。和辻哲郎の描く道元禅師の修行の苛烈さ、一徹さ、仏道の真理をただただ行動する姿に打たれた。道元禅師のお言葉をブログのサブタイトルにするからには、一通りは読んでいたつもりであった。和辻哲郎が分かりやすく活写した道元禅師に、改めてただただ坐ること、ただただ行動することの大切さを感じた。私達が本来その姿をならふべきなのは、道元禅師や、当時の修行僧がどのように修行をしたかにつきる。道元禅師が「仏性」、「見得」などについて書かれたことがらについて理解しようと努力するよりも、理解できるまで修行を積み重ねることの方が大切だ。
本編の中で、女人成仏について触れられていた。大学生の頃、荒木美智雄先生のゼミで道元禅師の女人成仏についてレポートしろという宿題をもらって果たせずにいた。「変成成仏」という言葉をどこかの本で見つけてコピーして。レポートしただけだった。卒業する時まで、「僕は君の評価が出せない。宿題をはてしていない」と先生から言われていた。なんという見当はずれのことをしていたのか。荒木美智雄先生が亡くなられた今では宿題を果たすこともできない。