HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

宋の名臣たち

山本七平の「指導力」を読み始める。

いやあ、なまなましい。自分の感覚だと、せいぜい戦前、戦後の政治史を読んでいるくらいの感じ。論語など、いわゆる四書五経を読んでいるともう伝説の人物が非常ににつめてにつめてにつめられた言葉だけが記録されている。片言隻語がひとつも無駄ではない。しかし、山本七平の語る宋の名臣たちの言葉は生きている人物としての試行錯誤や、いったりきたりが感じられる。山本七平も、あまりに厖大であるためか、書き下し文を現代語で解説したりしていない。

いうまでもなく、宋は朱子学が成立するなど文化的にも成熟した時期。仏教では主流が禅宗だったWikipediaにあった。はっとしたのが、考えてみれば道元が渡ったのは南宋

  • 貞応2年(1223年) 明全とともに博多から南宋に渡って諸山を巡り、曹洞宗禅師の天童如浄より印可を受ける。その際の問答記録が『宝慶記』(題名は当時の年号に由来)である。
  • 安貞2年(1228年) 帰国。
道元 - Wikipedia

やはり、このころの文物、人物は一気にいまとつながっている気がする。