HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「日本軍は二本の足で歩いていた」

共感すると書くことすら抵抗を感じる。

 今ではもう想像も出来ないであろうが、日本軍というのは、そのほぼ全員が二本の足で歩いていたのである。もちろん例外はある。しかし例外は例外であって、兵隊は文字通りの「歩兵」であった。
(略)
 「六キロ行軍」とは、一時間の行軍速度が六キロの意味だが、これは小休止、大休止を含めての話だから、大体がかけ足になる。演習では一割から二割は倒れることを予定してやるわけだが、戦場では落伍兵はゲリラの餌食だから、「死ぬまい」「死なすまい」と思えば、文字通り蹴っとばしても張りとばしてもあるかせなければならない――これは「活」であって、前にかいた私的制裁とは根本的に違う。そして実をいうと、「活」を入れられている者はもちろん、入れている者も、目の前がくらくなっていて、半ばもうろうとした状態なのである。

晴れ - 欣印日記はてな

私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))

私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))

ハイキングで移動して、1時間3、4キロがせいぜい。大学生で一番体力が充実しているころで、まったくなにも持たないランニングで6キロが15分だったか、20分だったか。そのあと、最低2、3時間は同じスピードでは走れなかった。この上重装備で、砲弾まで抱えて移動して、南国のジャングル周辺で1日40キロも移動できたということが信じられない。

だが、それでも多少は兵士たちの限界状態に共感できる気がするのは、自分もビジネスという最前線の一兵士だと思っているから。うぬぼれかもしれないが、日々自分の限界に挑戦しているつもりではある。

全くの素人のしろものだが、マイマップを作ってみた。


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■参照