「1Q84」の中にちりばめられている近現代史のエピソードの数々は、まさに現代に生きる私たちの「人格」の一部を書き換えられた歴史だ。
「僕らの記憶は、個人的な記憶と、集合的な記憶を合わせて作り上げられている」と天吾は言った。「その二つは密接に絡み合っている。そして歴史とは集合的な記憶のことなんだ。それを奪われると、あるいは書き換えられると、僕らは正統な人格を維持していくことができなくなる」
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/03/28
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ソ連の満州、サハリンにおける日本人の拘留とシベリア連行。中国共産党による戦後の日本人の接収と、日本人による空軍創設。あるいは、「通化事件」における日本人の虐殺。インドネシア独立戦争に加わった日本人将兵、山西省の城野先生。いや、いかん「1Q84」
にでてくる近現代史を外れてしまった。
まさに日本でも、中国でも、韓国でも、台湾でも、歴史の書き換えがいまも行われている。そして、現在の日本において「正統な人格を維持してくことができなく」なっている。
ついこの間まで現実の現代においてウィンストンの仕事は小説の中の話しだと思っていた。このところ、戦後史を調べれている。調べれば調べるほど、自国の現在の政治体制に併せて歴史が改編されているのだと知った。中国、韓国、台湾でもここまで徹底しているのかというほど、現在の政治体制のために改編されている。
国の歴史とは思想の戦い - HPO:機密日誌
そして、人格を奪われるとは、真摯さを失うということだ。
「歴史的事実を肯定する述語と、否定する述語の数は等しくできる」ため、機械には真摯さはない。人が真摯さを持つためには、「人の知性と感情と意思の3つが統合されてい」なければならない。