HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

その女を許すということ

finalventさんとこで、見つけたこのエントリー。こころに強くひっかかった。

妻が去って今月で2年。あっというまだった。子どもたちとの生活にもそれなりに慣れた。それでも、この「俺」さんのように妻を、いや、元妻を許すことは私にはできない。

この「俺」さんにしても、「娘」さんが生まれる前からほぼ成人するまで20年間、「妻」を受け入れることはなかった。いや、いまでも和解したといいながら、「夜のほうはまだなんです……」と正直に答えている。

なぜ男は許されて女は許されないのか?お前は清廉だと胸を張って言えるのか?と問われれば、私は言葉を失う。

そう、たとえば2年前、元妻と私はよく遠藤周作を一緒に読んだ。

人生には何ひとつ無駄なものはない (朝日文庫)

人生には何ひとつ無駄なものはない (朝日文庫)

情愛は嫉妬を産む。嫉妬は憎しみにつながる。憎しみは絶望につながる。そこまでは私にもわかる。この物語はその先を語っている。妻とは、遠藤周作の言葉がこの物語にすべてはいっているね、という話しをした。

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それでも、別れるときには別れる。縁がなくなるときには、縁がなくなる。人生とは自分がおもったままにはならない。そでも、生きていくしかない。そして、そこに道はあると信じたい。

ま、未練たらしくこんなエントリーをあげてるようじゃだめだな。