HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

僕らにできるのは、お掃除することだけ

地震発生以来、べき乗則地震の災害について考えてきた。でも、思考がメルトダウンしていてどうもうまく働いてくれない。原理原則、地震マグニチュードというべき乗則で表される。地震の強度と頻度がべき乗則の関係にあると。つまりは、どんなに地震の被害を予防しようとしても、ブラックスワン的危機を回避することはできない。非情なまでの無力さにとらわれてしまうだけだ。

日々、日々、考えて、考えて、働いて、働いて。つくづく思ったのは、私たちにできるのは、大きな災害が起こった時にそれ以上に大きな災害にしない努力をすることだけだ。大きな災害にしない努力とは、日々掃除を続けることだけ。

掃除を怠ると、あっというまに怠惰を産んでしまう。ただただ、掃除をつづけることだけ。それが、安全と品質を高める。

割れ窓理論」というのがある。小さな犯罪やいたずらでも見過ごさずにきちんと対応することで、凶悪犯罪を防げるという考え方だ。乗ったら必ず襲われると言われていたニューヨークの地下鉄が、落書きを徹底的に消す活動をすることで凶悪犯罪がなくなったという。

考えてみれば、これは現場の災害のハインリッヒの法則ヒヤリハットと同じだ。一件の死亡事故の前には3件の重大事故、3件の重大事故の前には30件の事故、30件の事故の前には千件のヒヤリハットがあるという。千三十三の法則ともいわれる。現場災害防止活動においても、ヒヤリハットを撲滅する方針の徹底が大事。ヒヤリハットのひとつひとつのカテゴリーををみすごさずに対応する。こうした地道な5S、つまりはお掃除が死亡事故、重大事故を防ぐ方策ということになる。

いずれも、背後で動いているのはべき乗則だ。

そして、掃除をするということは日本の伝統なのだとつくづく想い至る。神事にかかわることが日頃多い。神事のおはらいはそのまま掃除の仕草の再現だ。

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す

祓詞 - Wikisource

黄泉の国から逃げ帰ってきた伊邪那岐が、からだを小川で洗うことで、身を祓った。ここにこの日本の国が自らを常に顧みる伝統が産まれたと教えられた。古事記の昔からいまに至るまで、清掃をただただ続ける。そこに、本来の意味があると信じる。